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補完性の原理が地方を苦しめる不思議

印刷用ページを表示する 掲載日:2009年1月19日

横浜国立大学経済学部教授 金澤 史男 (第2665号・平成21年1月19日)

分権改革の理念とされるスローガンに「地方にできることは地方に」がある。従来、国と地方の事務配分に関する地方優先の原則とか市町村優先の原則と言われていたが、近年、「補完性の原理」と呼ばれることが多くなった。

この原理は、本当に地方自治の充実にプラスに作用しているのだろうか。市町村で出来ることはまず市町村でやり、出来ないことは都道府県がやる、それでも出来ないことは国がやるというのは基礎的自治体を尊重しているように思える。

しかし、介護、医療、廃棄物処理などの重要課題を扱う事務事業を次々と拡充、移譲しながら、それに伴う財源や人員が拡充されなければ、地方は地獄である。事実、福祉分野を中心に市町村への事務事業移譲が進展した1980年代後半以降、地方税財源の充実は進んでいない。それを目的に掲げた三位一体の改革では、補助金、地方交付税が大幅に削減され、3兆円の税源移譲があっても差引6兆円のマイナスとなる始末である。

こうやって基礎的自治体の仕事を増やしていけば、それに耐えられなくなる市町村が出てくる。だから強制的な合併が必要だ、弱小町村に一人前の自治は必要ないとされるならば、補完性の原理はもはや自治破壊の手段でしかない。

もともとこの原理は、ヨーロッパ地方自治憲章で強調されたものである。EU統合のもとでは、事務事業が上位団体に取り上げられていく傾向があり、「地方ができることは地方で」の原則は、現にうまく機能しているものは地方で、という意義があった。日本の文脈と異なることに注意しなくてはならない。

国と地方の事務配分に当たっては、補完性の原理だけでなく、それが合理的であるか、効率的であるかが慎重に検討されなければならない。この点は、すでにシャウプ勧告やそれに基づく神戸勧告で指摘されていたところである。そのうえで必要にして十分な財源、人員の保障が不可欠なのである。たとえば、介護保険や国民健康保険について、市町村規模の拡大で対応するのではなく、保険者を国や県に代えることの合理性を吟味すべきである。