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ひばりさんとサザエさん

印刷用ページを表示する 掲載日:2011年8月29日

千葉市男女共同参画センター名誉館長・NHK番組キャスター 加賀美 幸子
(第2771号・平成23年8月29日)

世の中、有名人は各界様々多いけれど、全国津々浦々、老若男女、誰もが知っている人というと、やはり美空ひばりさんであろうか。23回忌の今年も、テレビやラジオで、ひばりさんの特集が組まれていた。

戦後すぐ、日本の焼け野原に、9才の少女の歌が響き渡った。不思議な力をもつその声は瞬く間に全国各地に広がり、人びとの心を捉えた。歌の巾の広さといい、その内容・味といい、着々と不動の地位を築いていった道のり。好き嫌いは別にして、だれもがその確かな力を評価しているはずである。

一番の親友であった中村メイコさんとつい最近ひばりさんについて放送で対談をした。歌にかける拘りの強さ、その素顔や家族への思い、自らマネージャーとなって大歌手を育て上げた母喜美枝さんのことなど、改めて感じ入った。母は、常に歌手としてのひばりさんを守り続けた。その分いわゆる家庭生活は無かった。メイコさんの家族とひばりさんを繋いだのは喜美枝さんだったそうだ。メイコさんは一筋の道を歩みつつも、家庭生活を優先してきた。母はその姿、その家庭を一方で知って欲しかったのだろうか。

親友ひばりさんの家でメイコさんがしばしば目にしたのは、書斎の中心に置かれている漫画「サザエさん」だったという。ひばりさんは、サザエさん一家が憧れだったのかもしれない。家族みんなで「ちゃぶ台」をかこみ、鍵の掛かっていない玄関、板廊下、障子、生垣…隣近所、学校の友達…小さな日々の暮らしのひとつひとつ、一言一言がなんだかおかしくて、つい笑ったり、関心したり、共感したり…典型的な日本の昭和の家庭。ほのぼのと懐かしい家族の営み。…それを見ながら、笑ったり慰められたりしていたひばりさんを思う。忙しくて学校にも行けず、近所づきあいも無かったひばりさん。歌への拘りは特別だったけれど、日常はサザエさんのようにざっくばらんな心優しい人だったと、親友中村メイコさんは、目を細め、遠くを見つめながら語る。改めてひばりさんの歌が近く近く聞こえてくる放送であった。