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罰があたる

印刷用ページを表示する 掲載日:2009年2月9日

千葉市女性センター名誉館長・アナウンサー(元NHK) 加賀美 幸子
(第2668号・平成21年2月9日)

前にもこの週報で取り上げたことがあるが「NHK全国短歌大会」が今年も1月24日NHKホールで行われた。20年度の短歌大会に寄せられた歌の数は25,000首をはるかに超えた。その中から20人の選者によって選ばれた60首を私が朗読させて頂くのである。20年も続いている恒例の短歌大会…短歌は時事や人々の心が濃く歌われるので、今年はどんな歌が詠まれているか…と毎回待ち遠しいのである。

20年前は戦争で家族を亡くした悲しみ、平和への希求の歌もかなり多かった。今は世代も変わり直接に悲しみを歌う作品は少なくなったが、今年度は、オリンピックのバンザイに、かつての時代のバンザイを思いだしたという

「ニッポンのバンザイきこゆはるかなる60余年前のバンザイ(小室誠二さん)」という作品が選ばれた。

私は第二次世界大戦の最中に生まれたので、戦争の直接体験はなく、自然の中の縁故疎開だったので、食糧もそれほど乏しくはなかったけれど、お米は配給で大変貴重であった。一粒でも無駄にしたら、「罰があたる」と注意された。和田美智子さんの歌にも心惹かれた。

「ひとつぶの 米を残して 叱られき『罰があたる』は死語となりけり」

和田さんは、飽食の時代に大切な教えも消えてしまったのでしょうか…とおっしゃる。「罰があたる」は、お米だけではなく、すべてのことに私も頻繁に聞かされた言葉である…「そんなことをしたら罰が当たるよ」と。罰とはどんなことか幼心にはわからなかったけれど、それは、一瞬のブレーキになり、考える余裕にもなったと思う。

怖れではなく、「誰かが、何かが、どこかで、見ているかもしれない。罰があたらないように、ちゃんと生きていこう」と自然に教わったように思う。「サムシンググレート」…その思いは私の中に今もあるのである。