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今、読む西鶴

印刷用ページを表示する 掲載日:2008年3月3日

千葉市女性センター名誉館長・アナウンサー(元NHK) 加賀美 幸子
(第2632号・平成20年3月3日)

古典は本当に面白い。今年は『源氏物語』一千年紀。あちこちで源氏関連の催しも多く、更に物語も読まれているが、一千年といっても、単純計算すれば、百歳の人が十人並べば千年…決して遠いとは思わないというのが、私の古典への近づき方なのである。

最近「10min・ボックス国語」という古今東西の名作を読む番組で『日本永代蔵』」を取り上げ、その面白さに今浸っている。 

西鶴がこの短編集を書いたのは、1688年、たった300年ほど前のことである。商業が栄え、人々は努力や才覚で富を築くことができるようになった時代。金銭をめぐって繰り広げられる人間模様を全国から集め、30章にまとめた『日本永代蔵』は当時のベストセラーであった。

お金があっても、粗末な単衣(ひとえ)を着続けながら、たとえ転んでも、火打石を拾って懐にいれるという藤市の抜かりない前向きな考え方も読み手を惹きつける。

又、仕事に励んでもなかなか儲からず、年も越せないほど貧しい桔梗屋。でも「富貴の神仏を祭るのが世の常識だが、俺は人の嫌う貧乏神を祭ろう」とわら人形を作り、精一杯のもてなしをしたところ、貧乏神は大変喜び「この恩賞忘れ難し。忽ちに繁盛さすべし」とお告げがあり、その後の努力が実り、桔梗屋は大金持ちになったという話。

茶屋の利助は、思いついて、商売の神様「えびす様」の格好をして、売り歩いたが、縁起を担ぐ人々に喜ばれ、大繁盛。しかしそれでは満足できず、汚い手を人に気付かれないように使いだす。染め物に使うと嘘をいい煮殻を調達し、飲むお茶にこっそり混ぜ、売り出した。売れ行きもよく、一時は大金もちになるのだが、天罰が下り、壮絶な後半生を送ることになるのである。

江戸の中期の物語の何と近いこと。この三例だけでも、前向きな生き方、人と同じでない生き方、人の道に外れてはいけない…というメッセージが、今、いきいきと聞こえてくる。古典は本当に面白い。