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人麻呂さん

印刷用ページを表示する 掲載日:2003年10月20日

千葉市女性センター館長・アナウンサー(元NHK) 加賀美 幸子
(第2456号・平成15年10月20日)

柿本人麻呂を知らない人は多分いないであろう。『万葉集』の代表的歌人、いくつかの歌も口をついて出てくるに違いない。「東(ひんがし)の野に炎(かぎろい)のたつ見えて かへり見すれば月傾きぬ」 「近江の海(み) 夕波千鳥汝(な)が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ」…約100首が『万葉集』には収められているが、天皇に捧げる歌でも、旅の歌、弔いの歌、妻を思う歌、自らの終焉を詠む歌…叙事詩であれ個人の歌であれ、そのいずれも、格調高く豊かな心と内容が満ち満ちている。

歌聖と言われ、後の世の人々に語り継がれ、今も変わらず我々の中に生きている宮廷歌人。その生没に関しては分からないことが多いというが、島根県益田市に二つの柿本人麻呂神社(高津人麻呂神社と戸田人麻呂神社)があり、この地で亡くなったとも言われている。

大変興味のあるその益田市を訪ねた時のこと、町の人々の「人麻呂さん」と呼ぶ優しい言葉に何より惹かた。

あの荘重な歌の主を、隣の家の人のように、友達のように、何とも自然に「ひとまろさん」とよぶその声に、静かだけれど、歴史の街の豊かで自然な時の流れと暮らしの自信を感じて、心動かされた。

どちらかと言うと直截な関東文化や雅な京文化などとも違う、懐の深い、悠々たる日本の心を見たような、清々しさであった。

歌聖人麻呂。そして時代は下るが室町時代中期に生まれ、歴史に残る画聖雪舟もこの地にゆかりがあり、益田市の医光寺と萬福寺に庭園を築き、晩年は東光寺で過ごしている。雪舟の庭に佇むと、その心がそのまま目に映って伝わってくる。

町の人々は、この画聖をも、やはり特別視することなく雪舟さん「せっしゅうさん」とやさしく呼び親しむ。「…さん」という響きの中に漂う、近しさと自然さ。歴史の流れを懐に捉える日々の暮らしが窺え、心の豊かさとは何か羨ましく考えさせられた。