千葉市女性センター館長・アナウンサー(元NHK) 加賀美 幸子 (第2434号・平成15年4月7日)
21世紀も既に3年目。世の中は進み、今まで解らなかった事ごとが、さまざまな方法で明らかにされている。
2003年、今年は、「人間の遺伝情報、人間の設計図、ヒトゲノム」が全てが解明されるという。少し前までは信じられないことであった。科学や技術の進歩の様子は、あげればきりが無い。しかし不思議なことに、進めば進むほど分からないことが増えてくるのも人の世の常である。
橋本治さんの『わからないという方法』という本がある。本来「方法」というのは分からない事柄を解いていく術であるはずだが、「分からない」ということがイコール「方法」であるというのである。
橋本さんは「分からない」は思索のスタート地点である。「自分はどうわからないのか?」……それこそが、「わかる」に至るための“方向”である。その方向に進むことだけが「わからない」の迷路を切り抜ける「方法」であると。
その考えにうれしく惹かれた。私には、分からないことがあまりに多いからだ。
今、情報は山ほどあるが「何が本当か。大事か」分析することは難しい。人に答えを求めても誰も分からない。たとえ問題が分かっても、それが自分にとって、又、人間にとって良いことか否か分からない。
橋本さんは、「20世紀、人々は、自分の現実を何とかしてくれる正解がどこかにある」と思いこんでいた20世紀病に陥っていた。自分が分からなくても、どこかに正解があると思っていた。しかし、多くの日本人は幻滅したはずである。20世紀が終わると同時にやってきたのは、実は幻滅でなくて、ただの現実なのだ」と。
正解は無いのだから、21世紀は、何が分からないのか自分で考えるという「当たり前の時代」であるという。その分、今まで以上に、一人一人が問われる時代なのであろう。