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二十一世紀の『社会資本』

印刷用ページを表示する 掲載日:2003年1月20日

NHK国際放送局長 今井 義典(第2424号・平成15年1月20日)

地域の仕事に携わる人々の頭を片時も離れないことばの一つが「社会資本」だろう。最近の改革論議の中で避けて通れない重要課題である。日本で「社会資本」といえば、「道路・ダム・橋など、安全で快適な社会基盤を築く資本ストック」のことだし、「社会資本の充実は景気対策としても重要な政策」だといわれてきた。ところが昨年英国で取材中にひとりの「社会的起業家」と出会い、この定義は日本だけが狭い意味に限定して使ってきた考え方ではないか、と思えてきたのだ。

英国の社会再活性化の先頭に立っているこのひとは「社会資本」という言葉を、「市場の資本」(MarketCapital)、つまり利益を生むことのみを目的とした「お金」と対比して使った。「社会資本」(Social Capital)とは「市場の資本」とは対照的に「社会をよりよくするために使う資本、お金」だというのだ。そうなると「社会資本」は物理的な建造物や構造物だけを指すのではないのかもしれない。

この疑問について帰国後色々な方々と議論しているうちに、一つの可能性が浮上した。戦後日本が復興期から高度成長期にいたる過程で、経済成長のためにあらゆる資源を優先的に注ぎ込まねばならなかった。そのとき英語の「ソーシャルキャピタル」という言葉に注目して、意図的にか間違ってか、「経済成長を支える土木構造物の建設」という狭い概念に解釈したのではないか、というのだ。この説の当否はともかく、21世紀の「社会資本」の整備を議論するとき、より大きな概念に立って、地域のあり方やコミュニティ造りの手法をあらためて見直してみる必要があるのではないだろうか。日本が現下の経済の低迷や政策の混乱から近い将来抜け出せたとしても、21世紀の日本を再構築するには、限られた資本を有効に使うことが最優先される。そのとき重要なのは、いかに個々の地域の主体性を尊重するか、そしていかに市場メカニズムを利用して、効率的に公共サービスを提供するかという点だ。それが真の社会資本、「社会のためになるお金の使い方」ではないだろうか。