ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > コラム・論説 > 厄介者が農村都市交流の資源に

厄介者が農村都市交流の資源に

印刷用ページを表示する 掲載日:2007年5月14日

作新学院大学総合政策学部教授 橋立 達夫 (第2599号・平成19年5月14日)

竹原という小さな集落が栃木県芳賀郡茂木町の北部にある。戸数18戸、人口は100人に満たず、高齢化率38%の山村集落である。今ここが、まちづくりの先進地域として名高い茂木町の中でも最も元気な集落の1つとなっている。何もないと思われていた集落に、昨年度は1,300人もの観光客が訪れた。内閣府有識者会議により「立ち上がる農山漁村」に選定されもした。4年前に始まった「かぐや姫の郷づくり」が、着実に成果を上げているのである。

竹原はその名の通り、竹の多い郷である。竹林は農業資材や農具の材料を得る場としてどこの集落でも確保されてきたが、今やその用を失い放置されてきた。現代の農家にとって、竹林は家屋敷、農地、山林に続く4番目(つまり最低)の価値しか認められていない。

竹林はいつしか荒れた竹やぶになり、さらに家屋敷、農地、山林を侵食するほどはびこる厄介者になった。 

竹原のまちづくりでは、この厄介者の竹やぶを利用することで始まった。竹やぶを、かぐや姫が出てきそうな美しい竹林に変えたいという一致した思いの下に、竹林の整備を、都市住民に呼びかけ「かぐや姫の郷づくり応援団」を立ち上げることで実現したのである。しかもいわゆる3K(きつい、汚い、危険)のボランティア作業にもかかわらず参加費をいただくという、いわば「逆有償ボランティア」として。この仕組によって、荒れた竹やぶが農村都市交流の資源となった。そして伐り出された竹は竹炭に焼かれ、また復活した筍は、生や干し筍として道の駅で販売され人気を博している。さらに竹細工や青竹の中に米と水を入れて焚き火で炊く竹筒ご飯などの技が集落で育ちつつある。昨秋のイベントでは、竹灯篭が集落の道を美しく飾った。

農村都市交流の資源は、必ずしも美しいものでなくても良い。むしろ、都市と農村の住民が協働により美しいものを創り出すという創造性と達成感が人を惹きつけるということもあるのである。