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地域を開いていく志からはじまる農山村再生

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年5月29日

法政大学現代福祉学部教授 図司 直也(第3001号・平成29年5月29日)

都市農村「交流」から「協働」へ ―内発的発展をサポートする人材の登場

地域づくりをどう表現するか、これまでさまざまな識者から試みられている。全国町村会にも縁の深い宮口侗廸氏は、『新・地域を活かす』(2007)の中で、地域づくりを「時代にふさわしい新しい価値を地域から内発的につくり出し、地域に上乗せしていく作業」と表現する。また、小田切徳美氏も、『農山村は消滅しない』(2016)などの著書の中で、1990年代から登場する地域づくりの要素には、地域づくりの原則としての「内発性」、その中身の「総合性・多様性」、そして仕組みづくりにおける「革新性」が多かれ少なかれ含まれると整理する。両氏に共通するのは、「内発性」の醸成に、「交流」が大事な役割を果たすことを指摘している点であろう。交流活動は、地元の人々が意識的に取り組むことで、都市住民の目を通じて地域の価値を見つめ直す「都市農村交流の鏡効果」が得られ、地域づくりの原動力やきっかけを得ることができるものだ。

しかしながら、日本のグリーンツーリズムは、短い休暇の中で、日帰りまたは短期滞在での体験型で不特定多数の来訪者を受け入れる傾向にある。そこでは、体験が切り売りされ、限られた時間にパターン化された商品になってしまっている、という指摘もある。このような状況下では、当初は熱心な取組も、人口減少、高齢化が確実に進めば、次第に交流する意義を見失い、「交流疲れ」から活動が崩壊してしまう事態が懸念される。

そうならないためにも、都市農村交流にはその「量」ばかり追い求めず、「質」を高めていく姿勢が欠かせない。都市住民の中には、都市農村交流を単なる体験の場に留めず、農山村のなりわいや暮らしに共感しながらリピーターとなって、活動をサポートする立場に転じていく人たちも数多く生まれている。農村側としても、地域力を発揮して内発性を醸成できるよう、「交流の鏡効果」を着実に生み出せる都市農村「協働」への発展を目指すべきだろう。

その中で登場してきたのが、地域サポート人材による支援である。2000年代後半に入り、国が主導して、「集落支援員」や「地域おこし協力隊」など、農山村における地域づくりに対して外部からサポート人材を導入する事業を展開させている。これらは、これまでの補助金行政とは違い「人」を政策対象に据えた、「補助人」事業と呼ぶべき新しい改革手法と位置付けられよう。とりわけ、2009年に導入された「地域おこし協力隊」は、2016年度には4,000名近くに上り、国の地方創生戦略において2020年度に掲げた達成目標を早くもクリアする状況となっている。また、2015年3月末までに任期を終えた隊員945人のうち、20・30代が8割近くを占め、また約6割の隊員が同じ地域に引き続き定住している、という調査結果も出ている。この動向から、農山村に向かう若者の存在に注目が集まり、人口増を目論む自治体の中には、地方への移住・定住を促進させる「特効薬」として地域サポート人材事業に過度に期待を寄せる姿勢も散見される。

このような中で、地域サポート人材事業の「定住」効果ばかりが強調されがちだが、そもそも、地域おこし協力隊のねらいは「地域への定住」のみならず「地域協力活動への従事」にも置かれている。そうだとすれば、任期中の「地域協力活動への関わり」についても、その評価がなされるべきであり、「地域サポート人材」とともに活動する地域づくりの特徴を意識した実践が求められている。

多様な人材を引き寄せ「じょんのび構想」を形にする高柳町荻ノ島集落

新潟県高柳町は、過疎化に対する強い危機感を契機に、25年にわたり「住んでよし、訪れてよしのまちづくりビジョン」、通称「じょんのび構想」を掲げて積極的な地域づくりを進めてきた。その取組については既に町村週報をはじめ多くの報告があるが、ここでは紙幅の関係から、2005年の柏崎市への合併の頃から話を始めたい。

1990年代に「じょんのび構想」の推進役を担ってきた高柳町役場も、合併を見据えた取組を先行させることになり、新市の計画にじょんのび構想を織り込むことが難しくなっていった。また、地域の人口減少や高齢化は依然として進行し、過疎化も食い止めるには至っていなかった。

また、じょんのび構想を通して、茅葺き民家を活用した「荻ノ島かやぶきの里」を管理運営してきた荻ノ島集落では、施設で料理を提供してきた地元のお母さんたちも高齢となって引退するなど、それまで活動を担ってきた人たちも体力面での厳しさが増してきた。また、茅葺き民家にも、持ち主の家族だけでは補修しきれず空き家となり、冬の除雪費がかさむために取り壊すケースも出てきた。このように、荻ノ島集落でも、地域資源の核となる茅葺きの農村景観をどのように保全するかなど、集落単位で課題対応を模索する状況に陥っていた。

そこで、荻ノ島集落では現状を打破し、今後の地域づくりの方向性を検討すべく、集落の活性化を担う「特定非営利法人荻ノ島地域協議会」を2010年に設立し、翌年には若手も参加し住民によるワークショップを開催した。そこから、「茅葺きの集落景観の保全」「外部人材との連携」「米・野菜などの小さなブランドづくり」の3つの柱が導き出され、これらの担い手を集落内だけに求めず、外部の人材を積極的に活用していく姿勢を打ち出した。

その頃、宿で料理を提供できなくなっていた「荻ノ島かやぶきの里」では、地方を巡る旅に慣れた客層が荻ノ島を拠点にして、周囲で食材を買い求め自炊しながらゆったりと滞在するようになり、連泊志向に変わってきた。そのようなリピーターが周囲にも口コミで広めてくれることから、新規のお客さんを全力でおもてなしせずとも、自ずと目標とする年間収入があげられるようになっていた。

このような時代の変化を受け止めながら、荻ノ島集落では新たな交流が展開していく。

ひとつは、横浜にある社会福祉法人試行会との農福連携事業である。先方に荻ノ島集落の出身者がおり、米の産直取り引きができないか、という相談をきっかけに、会の有志グループがかやぶきの里を定期的に訪れ交流しながら、農作業を手伝うなど様々な展開を見せている。

もうひとつは、労働組合であるUAゼンセン新潟県支部との「荻ノ島里づくり活動連携協力協定」の締結である。たまたま荻ノ島に立ち寄って、集落のたたずまいに関心を抱いた先方から相談があり、地域貢献活動の一環として、休耕田の復田作付け、草刈りや高齢者世帯の軒先除雪などに1回あたり30~50人の参加を得て、一緒に作業で汗を流す交流が続いている。

このような外部からのアプローチにも刺激を受けて、荻ノ島集落では、柏崎市のふるさと応縁基金御礼品事業、いわゆる「ふるさと納税」のお礼の品の提供にも積極的に関わっている。春先には山の幸を味わう「雪解け山菜便」や、コシヒカリの新米10㎏と秋野菜を詰めた「赤とんぼ便」など、荻ノ島の米・野菜・山菜・山木草の切り花など、「食べごと」を形にして発信していく試みも始まっている。

この他にも、2012年度から、若手大工や木工建築を学ぶ学生などを対象に、地元の建築士、木工建築の建築家の協力を得ながら、空き家になった茅葺き屋根の修繕作業に取り組む「茅葺き古民家ワークショップ」をスタートさせるなど、県内外の大学などとの連携も深まりを見せている。

このように、今日の荻ノ島集落では、外部から多様なサポーターが関わりをみせるようになってきたが、その動きを支える役割を担ったのが、地域サポート人材、とりわけ、「にいがたイナカレッジ」によるインターン生の受け入れである。このIターン留学「にいがたイナカレッジ」は、農村の現場で1年間生活し、そこに住む住民の方たちと一緒に汗を流しながら、地域づくりや6次産業、半農半Xなどの実践とそのスキルを学ぶ現場・実践型インターンシップ・プログラムである。

荻ノ島集落では、2014年度から受け入れを開始し、インターン生は、様々な集落行事に参加したり、田んぼ・畑に出て維持管理の作業、牛舎での手伝い、集落内で進められている茅葺きの空き家の改修やUAゼンセンの受け入れサポートなどを通して、地域で自分にあったライフスタイルを見つけるために、地域の暮らしに入り込んでいく。あるインターン生は、郷土料理を住民から習った経験を活かして、ふるさと応縁基金のお礼品と一緒に同封する季節の料理レシピを作成するなど、ささやかながら自分なりの荻ノ島の魅力の伝え方を探って仕事を生み出し、そのまま集落に移住する意向を示している。

真に地域を開く姿勢とは ―荻ノ島集落の今が教えてくれること

改めて荻ノ島集落における外部人材の一連の関わりをまとめてみよう。荻ノ島集落には、茅葺き民家の残る環濠集落という地域資源があり、その四季折々の風景を求めて、多くの「観光客」が訪れている。また、宿泊もできる「かやぶきの里」を早い時期から整備することで、地元の旬の食材を提供する機会もあった反面、もてなし疲れを伴うところもあった。その中で、近年では宿泊のリピーター客も自ら滞在の準備を設えてくるなど、「交流客」の様相も変化を見せている。

さらに、試行会やUAゼンセン、大学生との関わりが新たに生まれ、荻ノ島に通いながら、集落の暮らしを支える多彩な「サポーター」が生まれている。そして、今日では、インターン生のように荻ノ島集落に1年単位で移住し、集落住民と一緒になって活動する「地域サポート人材」が存在する。

にいがたイナカレッジのインターン生は、近年の地域おこし協力隊に見られるような、あらかじめ任務が定められているミッション型とは対照的なところがある。彼らは、いわばミッションフリーで幅広い活動を1つ1つ積み重ね、集落の人々の間を巡って関わりを持っていく。逆に、住民はインターン生の面倒を見る立場となって、お互いさまの関係が生まれていく。こうして縮小均衡で変化の乏しい集落社会の雰囲気が解きほぐされ、また住民同士が顔を合わせる機会が増えている。このような地域サポート人材の生み出す「解きほぐし効果」さらには「つなぎ直し効果」こそ、地域に漂うあきらめ感を和らげ、故郷に対する自信を取り戻していく手当てにもつながっているようだ。こうして地域を開き直していく住民の姿勢が、密度の濃い交流を集落に呼び込む好循環を生み出している。

さらに、今日ではこのような交流が地域経済の循環を取り戻す動きに高まりを見せつつある。その特徴は、荻ノ島の出身者や縁のある者が橋渡し役となり、ここでの暮らしや産品に対する共感を得ながら、外貨獲得の新たなルートを開拓している点にも注目すべきだろう。荻ノ島集落と試行会との米の取り引きは、新潟の米どころにあって市場評価が高かった産地でありながら、ふるさと納税の返礼品にも体現されるように、集落レベルでのブランドづくりを目指す契機ともなっている。集落で生産される米、野菜、周囲で採れる山菜など、それぞれの産品のロットは小さいものだが、それ故に、不特定多数を相手にする市場ではなく、交流を重ね信頼を寄せる仲間に、再生産の可能な価格帯で買い支えてもらえる。このような「共感の経済」こそ、中山間地域の産品は強い親和性があることを実証するケースと言えよう。

旧高柳町時代から地域づくりを牽引し、現在は、荻ノ島地域協議会会長を務める春日俊雄さんは、「今までの交流は、「おもてなし」する方が強かったが、時代が変わった。交流人口が増えた。漠然としていたものが、より具体的な姿に見えるようになった。地域に楽しい雰囲気が生まれ、ひとの動きが変わってきた。そして、攻めの自治と守りの自治が少しずつつながってきた」と話す。実際に、集落の人口は66人、28世帯と、小規模・高齢化集落であることには変わりないが、高齢化率は高柳町内でも低い方から3番目に転じている。最近の荻ノ島集落には、サポーターや地域サポート人材の中から集落に定着する者に加えて、長男が家から仕事に通う世帯や、結婚して子連れでUターンする世帯、定年帰農者も出てくるなど、集落出身者も根付き、集落行事にむらの若者が参加する動きも見え始めている。

このように観光客・交流者を起点に、サポーター、地域サポート人材へ、外部人材と地域住民との関わりのステージを重ね上げていくことが、まさに地域を開いていくプロセスに他ならない。その結果、荻ノ島集落では、「じょんのび構想」に掲げられていた「訪れてよし」と「住んでよし」がようやく一体となって形に現れ、住み継ぐ主体も着実に増えていることを住民自身が実感できるようになっていると言えよう。こうして、地域を開いていく志あるところにこそ農山村再生の道筋が描かれていくのだ。

図司直也

図司 直也(ずし なおや)

法政大学現代福祉学部教授

1975年愛媛県生まれ。東京大学農学部を卒業し、東京大学大学院農学生命科学研究科農業・資源経済学専攻に学ぶ。2005年に同研究科博士課程を単位取得退学。博士(農学)。(財)日本農業研究所研究員、法政大学現代福祉学部専任講師、准教授を経て、2016年より現職。(一財)地域活性化センター・地域リーダー養成塾主任講師、地域振興・人材育成に関するアドバイザー等を歴任。専門分野は、農山村政策論、地域資源管理論。主な著書は、『地域サポート人材による農山村再生』(筑波書房)、『人口減少社会の地域づくり読本』(共著:公職研)、『田園回帰の過去・現在・未来』(共著:農山漁村文化協会)、『農山村再生に挑む』(共著:岩波書店)など。