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村の暮らしからみえてくるもの~底に流れる精神をとおして~

印刷用ページを表示する 掲載日:2011年1月10日

哲学者・立教大学大学院教授 内山 節(第2744号・平成23年1月10日)

昨年、すなわち2010年の11月21日、私の暮らす群馬県の山村、上野村で、少し変わった1組の結婚式がもたれた。何十年かぶりに、昔の村の作法にもとづく結婚式がおこなわれたのである。私がこの村を訪れ、半分を村で暮らすようになって約40年、私の記憶にない結婚式である。

今では村人たちも都市の式場で結婚式を挙げる。村の旅館などを借り切って挙げることもあるけれど、家での昔ながらの結婚式は本当に久しぶりのことらしい。仲人などを頼まれた人も、料理などの裏方をする人も、その日に集まってきた招待客たちも、誰もがどうしてよいかわからないから戸惑い、しかしこの久しぶりの一日を楽しんだ。

新郎の黒澤恒明さんは上野村の生まれである。将来は村で暮らすと決めていたから、高校を出ると少し変わった選択をした。将来村で暮らすにはどんな勉強をしたらよいのか。恒明さんの選択は世界を自分の目で見てくることだった。何年か働いてお金を貯め、両親もこの計画に賛成して学資に用意しておいたお金を恒明さんにくれた。自転車をもってアメリカに渡り、北米、中米、南米と回ってアルゼンチンから南アフリカに移動した。北上しながらアフリカを回り、ヨーロッパを自転車で走った。ここで予定していた4年が過ぎ、アジアは断念して村に帰ってきた。村に戻ると、いろいろな交流事業などを手がけた。

新婦の上原美穂さんは東京生まれ、大学を卒業して「緑のふるさと協力隊」の一員として1年間上野村で暮らした。その間に恒明さんと知り合い、村での暮らしは2年目を迎えている。

結婚を決めたとき、2人は自分たちの手で村の結婚式を復活させようと考えた。しかしそれからが大変だった。伝統的な結婚式の進め方のすべてを知っている村人はもういない。このかたちで式を挙げた人たちはすでに80歳以上になっていて、そこに参加した人たちとなればもっと歳上なのである。自分が関わった一部のことは思い出せても、すべてのことなどわかろうはずもない。

恒明さんと美穂さんは村の高齢者を訪ね歩き、ひとつひとつ教わってはノートをつけていった。そうやって1年近くをかけて、式次第をまとめた。どんな料理をどんな順番で出すのか。酒を出すときにはどんな挨拶があるのか。すべてに村独特の作法がある。

村人たちも、村も、教育委員会もこの生活に根付いた文化を復活させ、継承していきたいという2人の気持ちに協力した。協力しながら自分たちも楽しんだ。私も多くの村人がそうしたように、当日は紋付き袴で参加している。

今日の村にはふたつの流れが併存している。ひとつは過疎化、高齢化、休耕地、限界集落の拡大といった流れ、この流れは村の衰弱として語られている。だがそれが今日の村のすべてではない。村でしかできない暮らしに価値をみいだすというもうひとつの流れが、今日の村には確実に定着してきている。しかもこの動きのなかに都市出身の人たちが加わっているのも現在の特徴である。上野村の結婚式も、都市生まれの美穂さんがいることによって実現した。

とすると後者の流れをつくりだしている人々は、村の何に価値を見いだしているのであろうか。その理由は実に多様だし、人によって異なっているのかもしれない。農業、林業、漁業など村でしかできない仕事を希望して村に来る人たちもいる。自然のなかで子どもを育てたいという理由もよく聞く。技をもち、生活をも自分でつくりだす暮らしに魅力を感じる人たちもいる。村のコミュニティも人々を引きつける力をもっている。

おそらくこのようなさまざまなことが理由としてあり、さらにその背後には個人がバラバラになって劣化していく都市社会や、魅力を失っていく都市の労働という現実があるのだろう。

ところで、村の何に魅力を感じるのかと聞かれたら、私自身は「安心感」と答える。村には自然が支えてくれているという安心感がある。村人に支えられているという安心感ももちろんある。今日の村の暮らしは市場経済にさらされているから、これだけで安心できるはずもないのに、村にいると自然と村人との結びつきがあれば何も困ることはないというような、不思議な安心感に包まれる。そしてここには日本の基層文化が流れている。

日本の民衆文化の基層に流れているものは、「つながり」ではないかと私は思っている。自然と結び合い、人間どおしが結びあうだけではない。ご先祖様という言葉に表された祖霊とも結び、過去という歴史とも結んでいる。いわば自然や人間たちと横軸で結ばれるだけではなく、歴史、過去、死者たちと縦軸でも結ばれる。そのことによって自分の存在を確立してきたのが、日本の民衆たちである。「つながり」のなかに自己はある、という感覚だとでもいえばよいのだろうか。

そしてこの「つながり」のなかに人々は普遍をみていた。自然や人間たちとの「つながり」のなかに普遍を感じ、歴史や過去、死者との「つながり」のなかに普遍を感じた。さらに述べれば、この普遍のありようの奥に神や仏をみいだしてもきた。日本における神や仏は、絶対的な他者ではなく、自己との「つながり」のなかにある普遍である。

実際私が村の暮らしから感じているものは、ここには普遍があるという感覚である。自然と人間の普遍的な関係がある。人間と人間の普遍的な関係がある。そして歴史や過去とのつながりのなかで暮らしているという普遍を感じる。

それが村の暮らしに「安心感」を与えているのであろう。

現代世界は伝統的な「普遍」を壊しただけで、新しい「普遍」をつくりださなかった。この時代を領導した価値観は、進歩、発展。改革、変化である。たえざる変動によって過去を乗り越えていく時代。それは普遍的なものではなく新しいものを追い続ける社会を創りだした。しかもこの変化の主体に個人がおかれた。一般的に、近代以降の時代は人間の欲望をためらいなく解き放ったといわれるが、その欲望は「つながり」のなかにある欲望ではなく、個人だけに還元されていく欲望だったのである。こうしてバラバラになった人間たちが個人の欲望のままに生きる時代が生まれた。人々はそれを自由だと思った。ところがイギリスの産業革命から約250年、日本では明治維新から150年近くがたってみると、人間たちはこの時代に大きな矛盾があることに気づきはじめた。バラバラになった個人の問題がさまざまなところで噴出したばかりでなく、普遍的な価値をみいだすことなくその日のスケジュールに追われているだけの自分、毎日を消費しているだけの自己のありように気づかないわけにはいかなかった。

こうして人間たちは、安心感のない生活、充足感のない生活のなかに投げ出されたのである。

黒澤恒明さんと美穂さんの結婚式は、2人のお祝いではなかった。それは村のお祝いであった。多くの村人が協力し、これから2人が関わりをもっていく村の自然がこの式を包んでいた。村の時間をつないできた死者たち、つまり村のご先祖様でありこの村の歴史をつないできた過去の人たちと結ばれているような結婚式。ここには「つながり」のなかで営まれる祝いがあった。二人のための祝いだけではなく、村の祝いが。故に村という普遍の世界の祝いが。

他の山村でも同じだけれど、上野村にもたくさんの山の神が祀られている。山のなかを歩いているとときどき驚くような大木に出会うことがある。それらは山の神の休憩場所で、そういう木は林業関係者はけっして切らない。この山の神信仰は一面では脆弱な信仰である。元々は山岳系の山の神と鉱山系の山の神、森林系の山の神がいたが、今日も山村で祀っているのは森林系の山の神である。この山の神は森にいるときは森を守っている。川を守るときには水神に姿を変える。さらに田植えの頃に山から降りてきて田の神になり、稲刈りが終わると山の神となって森に帰っていく。いまでも田の神を迎える祭りや、送る祭りをつづけている地域はたくさんあるだろう。

脆弱な信仰と述べたのは、この信仰は山の神が森を守っているという以外には教義らしい教義がないからでもある。山の神を大事にしないと山で怪我をするなど罰が当たる、というだけである。しかも山の神を仕切っている組織のようなものもないから、信仰したからといって信者として登録するところもない。登録してないのだから会費のようなものもないし、脱退する手続きもやりようがない。「信者」を増やすための勧誘とも山の神は無縁である。

こんな信仰なのに、面白いことに山の神信仰は、全国の山村で消えることなく受け継がれてきた。今でも大祭の日には林業関係者などは仕事を休んで、山の神に魚などを奉納する。林業と関係していなくても山に入るときには山の神に手を合わせ、木を切るときには許しを請う。断固として現役の信仰なのである。

それは組織もなく、簡単な教義しかないのにつねに受け継がれてきた。村で暮らしていると山の神とともに暮らしているという感覚が論理を超えて妥当なもののように感じられるという、ただそれだけで千年単位で受け継がれてきたのである。「つながり」のなかで暮らしているという共有された感覚だけに支えられて。

これから提示しなければならない村の価値はそんなところにあるのだと思う。もちろん暮らす以上村でもある程度の経済的基盤は必要だ。だがそれだけがすべてではない。なぜなら今日の人々が村に注いでいるまなざしは、「つながり」のなかに永遠をみるまなざしだからである。

内山氏の写真です

内山 節(うちやま たかし)

1950年東京都世田谷区生まれ

哲学者、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授、NPO法人「森づくりフォーラム」代表理事

1970年頃から、東京と群馬県の山村、上野村との二重生活をしている。

主な著書に『怯えの時代』(2009年、新潮社)、『創造的であるということ』(上下巻2006年、農山漁村文化協会)、『戦争という仕事』(2006年、信濃毎日新聞社)、『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(2007年、講談現代新書)、『清浄なる精神』(2009年、信濃毎日新聞社)、『共同体の基礎理論』(2010年、農山漁村文化協会)、『自然の奥の神々』(写真・秋月岩魚、文・内山節、2010年、宝島社)他多数。