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変わる農業と近未来の地域社会

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年11月14日

名古屋大学大学院教授 生源寺 眞一(第2980号・平成28年11月14日)

農業に新たな動き

マスメディアが農業を報じるさいには、否定的な側面を強調することが多い。新聞紙上でよく見かけるのは「食料自給率は39%で低迷」であるとか、「農業従事者の平均年齢は60代後半」といった見出しである。そうかと思うと、逆に日本の農業の強さをアピールする論調も少なくない。書店には「世界5位の農業大国」や「世界に勝てる」などと、勇ましいタイトルの本が並んでいる。

いったい、どちらを信用すればよいのか。農村から距離のある都会の人々は、両極端に割れる日本農業の評価に戸惑いを覚えているのではないか。いや、都会人だけではない。町村で暮らす人々にとっても、悲観論と楽観論が交錯する状態は心穏やかなものではないはずだ。とくに農業や地域社会を支える立場にある町村の関係者であれば、戸惑いは他人事としての戸惑いではない。日々の職務の判断の拠りどころ、そして近未来のビジョンの拠りどころが揺れている状態だからである。

マスメディアがお決まりの文句を使いがちな点や、書籍のタイトルがしばしば販売戦略から派手になる点を割り引く必要があるが、そのうえでふたつのことを強調しておきたい。ひとつは、日本の農業には健闘している農業と、残念ながら後退が続いている農業が併存している点である。冒頭で触れた39%の食料自給率は、カロリーで集計した自給率であり、経済的な価値を物差しとして計算した自給率(生産額自給率)は、現在も7割に近い水準にある。米に代表されるカロリー型の農産物の縮小と野菜のような非カロリー型農産物の頑張りが、ふたつの食料自給率の開きとなって現れているわけである。同様に農業従事者の高齢化も、数のうえで多数派の水田農業の姿を反映した結果である。施設園芸や畜産などの分野では若者や働き盛りが頑張っている。この点については、町村の皆さんの実感と重なるであろう。

強調したいもうひとつの点、それは農業が生き物のごとく動いていることである。むしろ、生き物が経験してきたような進化と退化が、かつてない急テンポで繰り広げられていると言うべきかもしれない。このうち進化に目を向けることが楽観論を生み、もっぱら退化に着目することで悲観論が生まれている面がある。ここは冷静に直視する必要がある。今回は、農業や地域の振興に携わる皆さんを念頭に、近未来のビジョンを描くうえで重要と考えられる動きを取り上げてみたい。すなわち、現場との交流から得られた情報をベースに、農業をめぐる前向きの動きを紹介する。

厚みを増す農業経営

現代の農業経営の特徴のひとつは、産業分類上の農業の領域を超えてビジネスのウィングを拡大している点にある。とくに農業の川下に位置する食品産業、すなわち食品製造・食品流通・外食の要素を取り入れる動きが活発化している。ただし、多くは大げさな取組ではない。もち米を餅に加工するならば、それは立派な食品製造業である。庭先での農産物の直売は流通業にほかならない。自家産のそばを打って振る舞う農家もいる。こちらは外食産業というわけである。

農業経営の厚みが増している。農地面積の増加が横への規模拡大であるならば、食品産業のビジネスの導入は垂直面の規模拡大にほかならない。こうした動きは現代日本の産業構造からみて、合理的な流れだと言ってよい。経済成長とともに食品産業が飛躍的に拡大し、存在感を増したからである。

2011年の産業連関表に基づく推計によると、同年の国内の飲食費支出76兆円のうち生鮮品に向かったのは16%に過ぎなかった。加工品が51%、外食が33%に達している。もう一点、同じ推計結果から紹介すると、飲食費76兆円のために投じられた農産物や水産物の総額は国産が9.2兆円、輸入品が1.3兆円だった。合計で10.5兆円。このほかに加工品として輸入された5.9兆円の食料がある。ここにも素材の価値が含まれているから、例えば半分を原料費と仮定して合算してみると、材料費の総額は13.5兆円になる。これが消費者に渡る段階で76兆円に膨らんでいるわけである。

農業や水産業の生産現場と最終消費者のあいだには、食品製造の企業や外食の店舗が無数と言ってよいほどに存在し、それらをつなぐ食品流通も発達している。つまり、厚く形成された食品産業の各段階で燃料などの資材や機械などの設備が大量に投入されているのである。そして何よりも、多くの人々が食品産業で働いている。2010年の国勢調査によると、農業・水産業の3百万人に対して、食品産業の就業人口は8百万人に達している。40年前には1千万人と5百万人だったから、完全に逆転した。農業経営が食品産業にウィングを広げる動きは、そこで生み出される付加価値を手元に確保する動きにほかならない。

消費者に近づく農業

さきほど、農業経営の厚みを増す動きは合理的だと述べた。けれども、安易な気持ちからのビジネスの拡大は大怪我のもとであることも強調しておきたい。食品加工には品目によって異なる基準があるし、農家レストランも営業許可の基準をクリアしなければならない。大げさな取組ではなくても、専門的な知識や判断力が求められるのである。このあたりは、具体的な関連情報の提供や先進事例の紹介などを通じて、町村がサポート役を担うことも期待される。また、食品産業の要素を取り入れている農業経営の多くが法人経営や人数の多い家族経営である実態も、専門的なスキルを発揮できる人材の必要性を物語っている。

農産物の加工にせよ、食事の提供にせよ、顧客を満足させることができなければ、長続きはしない。川下のビジネスの成功要因のひとつは、リピーターの確保なのである。あるいは、価格の決め方にも上手、下手がある。あっという間に売れたが、手間賃も残らなかったというケースがあると思えば、近隣のライバルを考慮しなかったため、大量に売れ残った直売品といった事例もある。川下の産業を取り込むことは、農業経営が消費者に近づくことにほかならない。別の角度から表現するならば、提供する品物やサービスの質のレベルをめぐって、あるいは価格設定の巧拙をめぐって、農業経営は顧客のニーズに鍛えられる存在になるわけである。

消費者への接近という点で、今世紀に入って様変わりしたことがある。情報の発信・受信のコストが格段に低下したことである。今日ではインターネットなどの活用で、ひとりの農業経営者からであっても、多くの人々に内容豊富なメッセージを発信することができる。現に情報発信を得意とする農業者が各地で活躍していることは、それこそネットで確認できる。自治体のホームページ経由でアクセスできる農場も少なくない。これも現代農業のニューウェイブのひとつなのである。

情報発信の新たな環境下で、農業経営が農産物や加工品のアピールにとどまらず、それを作り出した生産工程の良さを伝達することも可能になった。優れた生産工程の典型が環境保全型農業にほかならない。なかには農場の若手の生き生きした表情を伝えるなど、職場としての良好な環境を訴求する発信もある。多彩な情報提供を促しているのは発信の手軽さだけではない。消費者の側が求める農産物や食品をめぐる情報の範囲も次第に拡大しているのである。安全性や機能性に加えて、いま述べたような生産工程の健全性を商品選択の判断材料にする消費者も着実に増えつつある。

職業として選ばれる農業

現代の農業経営には情報の受発信の巧拙が成果を左右する面が強まっている。むろん情報通信技術ICTによる発信だけではない。対面のコミュニケーションでもって、顧客の隠れたニーズを把握することも大切だ。女性が得意とする領域である。人間のバランス感覚であろうか、ICTによる情報密度が高まるにつれて、生身の対話のありがたみも増しているようである。この点についても、町村の皆さんは農産物の直売所などで実感しているのではなかろうか。

消費者に接近することは、農業に新しい魅力を加えていると言ってよい。これが若者や働き盛りの就農にもつながっている。農林水産省の調査によれば、昨年の49歳以下の新規就農者は2万3千人で、調査を開始した2007年以降で最大の人数に達した。朗報に接しながら、ここにも農業の新しい波の着実な広がりを確認できるように思う。2万3千人のうち、農家である自宅で就農した人(自営農業就農者)は54%であった。言い換えれば、残る46%は自宅外での就農であり、その多くは非農家の出身者なのである。46%の内訳は、農業生産法人などで働く雇用就農者が35%であり、農地や資金を調達して農業を始めた起業型の新規参入者が11%であった。

40歳未満に限定すると、自宅就農者は49%で半分以下になり、さらに30歳未満では45%となる。農業は農家の長男が継ぐものという通念は過去のものになった。少なくとも若い世代には通用しない。農業が職業として選ばれる時代なのである。それに農家の子供の就農の場合であっても、長男だから継いだとみるべきではない。そもそも長男以外が農業に就くことも珍しくなくなった。兄弟で立派な農業経営を築き上げた例もある。いまのところ少数だが、農業経営者として頑張る農家の若い娘もいる。

都会を含むよその地域で生まれ育った農業者の存在が当たり前の時代を迎えている。そんな時代に大切なのは、「決まりごとが通用しない」という感覚である。農村にはさまざまな共同行動がある。農業水利施設や公民館などの維持管理が代表例であり、慣習として定着しているものも多い。けれども、出自の異なるメンバーや若い世代に問答無用で強制することは次第に困難になるに違いない。お互いに納得のうえで参加する共同行動づくりを心掛ける必要がある。

客観的に見て農山漁村の大半の共同行動には合理性があり、むしろ都会では失われた貴重な文化的資産と言ってよい面もある。また、社会環境の変化や新技術の普及に向き合いながら、共同行動のあり方を組み換えてきた歴史もある。試行錯誤と甲論乙駁のすえに新しいルールが生まれたケースも多いはずだ。つまり、互いに納得のうえでの共同行動、ときには合意のうえでの共同行動の修正は、農山漁村にとって目新しいことではない。現代にふさわしい柔軟性と包容力は、風通しのよいコミュニティの形成につながり、地域の内側からの先進的な挑戦や外部の新たな血液のさらなる受け入れにも結びつく。

むすびに代えて:雇用機会としての食の産業

農業の新しい動きに注目したわけだが、農業経営が食品産業にウィングを広げている点では、食の産業の新しい動きと見ることもできる。2009年末の法改正で加速している企業の農業参入についても、食品関連の企業によるものがもっとも多い。いわば双方向で農業と食品産業の境界領域が流動化しているわけである。従来から農業と食品産業とりわけ食品製造業は密接な連携のもとにあった。お互いに相手を必要とする産業なのである。

町村における食の産業の新たな動きは、雇用の確保と創出にも結びつく。強調したいのは、雇用機会としての食の産業の安定性である。食べ物は一日たりとも欠くことができないからである。象徴的だったのは2009年秋のリーマンショック後の業況感である。全産業あるいは製造業全般がガタ落ちだったのに対して、食品製造業は多少の低下で済んでいた。食の産業は短期的な好景気で稼ぎまくるタイプの産業ではない。その代わりと言うべきだろうが、安定感は折り紙つきである。

農業に立脚した食の産業のニューウェイブは、安定した雇用機会を確保することで地域社会に貢献する。もとより、町村の食の産業は地に足のついた産業である。否、地域にしっかり根を張った産業なのである。町村の食の産業のニューウェイブは、安定した仕事に新しい魅力を添える動きにほかならない。

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生源寺 眞一(しょうげんじ しんいち)

1951年愛知県生まれ。東京大学農学部卒。農学博士。農林 水産省農事試験場研究員、北海道農業試験場研究員を経て、1987年東京大学農学部助教授。1996年同教授。2011年4月から名古屋大学大学院生命農学研究科教授。
これまでに東京大学農学部長、日本フードシステム学会会 長、農村計画学会会長、日本農業経営学会会長、日本農業 経済学会会長、日本学術会議会員などを務める。現在、東京大学名誉教授、食料・農業・農村政策審議会会長、生協 総合研究所理事長、樹恩ネットワーク会長、中山間地域 フォーラム会長、地域農政未来塾塾長。近年の著書に『日本農業の真実』ちくま新書、『農業と人間』岩波現代全書などがある。