東京大学名誉教授 大森 彌(第2864号・平成26年1月6日)
日本時間2013年11月29日早朝、アイソン彗星が太陽に最接近したところで突然消えてしまい、観測できることを待ちわびていたファンをがっかりさせた。 太陽の熱や重力に耐えられず急激に蒸発・崩壊したのではないかと推測されている。太陽自体は連続的に核分裂を起こし生命と無縁の超高温の世界である。およそ生命活動を一切許さないものを「絶対悪」と呼べば、 太陽自体は「絶対悪」といえなくもない。
広島へ原爆投下から68年目を迎え た2013年8月6日、被爆二世の松井一実・広島市長は、平和宣言の中で「無差別に罪もない多くの市民の命を奪い、人々の人生をも一変させ、また、終生にわたり心身を苛み続ける原爆は、非人道兵器の極みであり、 『絶対悪』です。」と言い切った。
それでは原子力発電はどうか。それは太陽で起こっている核反応と同じ本質の核分裂の過程を直接エネルギー源に据えているから、原子炉は「小さな太陽」であるといえる。 これをわが国も安全に制御・管理できると思い導入した。東京電力福島第一原子力発電所の事故で、その安全神話が消し飛び、多くの住民が故郷を追われ「帰還困難」が続いている。 「太陽」を生命圏に引き寄せてはならないのである。核分裂エネルギーへの依存を見直す以外にないのではないか。
太陽はまぶしい。地球から太陽までの平均距離は約1億5千万㎞といわれるが、放射されてくるその光があまりにも強く肉眼で直視できない。しかし、地球上の生物は、 太陽から放射されてくる光と熱の恩恵を受け生命を紡ぎ続けている。植物の葉の葉緑体の中では光のエネルギーを受けて二酸化炭素と水からデンプンなどの有機物と酸素を合成している。 この光合成のおかげで地球上の多くの生物が生存してきた。学ぶべきは光合成の技である。太陽は遥か遠くにあることによってのみ恵みをもたらしてくれる。だからこそ「ありがたい」存在なのである。
もう60年も前になるが、菊田一夫原作のNHK連続ラジオドラマ「君の名は」が大人気を博していた。この番組は、ハモンドオルガンの演奏が流れる中、来宮良子さんが朗読する「忘却とは忘れ去ることなり。 忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」で始まる。主人公の春樹と真知子が、互いに愛し合いながら、すれ違ってなかなか会えない。忘れることができるならどんなに心が軽くなるだろう、けれども忘れられない、 その切ない心情を詠っていた。
われわれは日々の営みの中で多くのことを経験するが、関心の薄いものは忘れやすく、記憶は時間とともに減少し、やがて忘却の彼方へ押しやられてしまう。 人は多くのことを忘れるから今日と明日を生きられるともいえる。自分に不都合なことは忘れ去ってしまいたいかもしれない。しかし、忘れたと思っていても忘れられない出来事もある。 忘れて生きていこうとしても心塞ぐ思いに苛まれることもある。忘れてはならないと自分に言い聞かそうとすることもある。
日本は未曽有の東日本大震災を体験したが、だれもが、首都直下型か南海トラフか分からないが、巨大な地震が避けがたくやってくるに違いないと思っている。大地震を想定せずに生きられない。 仁平典宏・法政大学教授は、それを「災後」でなく「災間」の時代と呼んでいる。この日本列島では自然災害が避けがたくやってくることを前提にしてしか生きられないならば、決して災害体験を忘れることなく、 そこから多くのことを学び備えなければならないはずである。
海で囲まれている日本列島では津波への備えは必須である。被災地の海岸線を再び巨費を投じてコンクリート防潮堤で張り巡らそうとする復興施策が始まっているが、選択肢はそれだけではないだろう。 植物生態学者の宮脇昭・横浜国立大学名誉教授は、被災がれきを活用した盛り土に多様な樹木を植えて「森の防潮堤」を築く構想を提唱し、被災地の自治体、NPO、住民、 支援企業などと一緒に「いのちを守る森の防潮堤プロジェクト」を推進している。この施策は、危険物を取り除いた被災がれきを土と混ぜて埋める、その上に、ほっこらと盛り土をしてマウンド(植樹地)を築く、 土地本来の潜在自然植生を構成する主木を中心に、深根性、直根性の常緑広葉樹(高木、亜高木、低木も)ポット苗を多種多様に混植、密植する、15~20年の短期間で多層群落の自然林に近い樹林に生長し、 最終的には樹冠の高さ20~25m以上の豊かで堅牢な森の防潮林が完成するという。地中深く根を張った森が緑の壁となり、波砕効果によって津波の力を減殺し、また、引き潮による被害も軽減できるという。 こうしたほうが、海と共に生きる人びとの命の尊さと絆の大切さを語り継いでいくことができるように思うが、どうであろうか。
この国でも、多くの人びとは経済成長と規模の拡大は不可分の関係にあると信じている。「大きいことは、いいことだ」という信奉である。合併によって自治体の規模を拡大しようとしてきた。 それによって市町村の間に指定都市・中核市・特例市・一般市・町村人口規模による序列化が生じた。本格的な人口減少社会に向かって、 たださえ人口規模の小さい町村は「限界自治体化」するのではないかという暗い予想もある。しかし、小さいことは、われわれの暮らしにとって、そんなにマイナス要因なのであろうか。
『スモール イズ ビューティフル』(1973年に)で評判となったイギリスの経済学者E・F・シューマッハは、1977年に『スモール イズ ビューティフル再論』(酒井懋 訳 講談社学術新書、 2000年)を著し、その冒頭で、「小さいことの素晴らしさ」について述べ、エネルギー消費の「適正」基準の第一は「小規模」だと主張している。「『大きければ大きいほどよい』という考えを意図的に捨て去り、 物事には適正な限度というものがあり、それを上下に越えると誤りに陥ることを理解しなくてはならない。小さいことの素晴らしさは、人間のスケールの素晴らしさと定義できよう。」と述べている。
このシューマッハの師であるオーストリアの経済学者・法学者のレオポルド・コールは、すでに1950年代のはじめ、「あらゆる社会的な災いの背後にはただひとつの言葉が見える。巨大さだ。」と喝破し、 モノが大き過ぎることが問題だとした。小さな組織や小さな都市、そして小さい国家が、巨大なそれよりもいかに効率的で、愛に満ち、創造的で安定しているか論じ、身の丈の規模の大切さを説いた。 小さいことがいいことで、美しいというのである(『居酒屋社会の経済学~スモール・イズ・ビューティフルの実現をめざして~』藤原新一郎訳、ダイヤモンド社、1980年)。
小田切徳美・明治大学教授(農政学・農村政策学)は、本誌2860号の「経済成長路線と農山漁村―内発的地域づくりの好循環を目指して」の中で、「いま、農山漁村に必要なことは、 こうした成長路線でも大再編路線でもなく、内発的地域づくりの確信・覚悟からはじまる好循環を、静かな環境で着実に育てて行くことではないだろうか。 だからこそ、『スモール・イズ・ビューティフル』のシューマッハとともに思う。 “The party's over.”(宴は終わった)”(シューマッハ『宴のあとの経済学』ちくま学芸文庫、2011年)。すべてはそこから始まる。」と指摘している。
米国の弁護士・経済学者・マイケル・シューマンは、『スモールマート革命―持続可能な地域経済活性化への挑戦』(毛受敏浩監訳、明石書店、2013年)の中で、最も経済的に貢献度の高い企業は、 地域に根差した小規模ビジネスを展開する会社であり、「大きければ大きいほど、激しく倒れる」という。徳島県上勝町長の笠松和市氏は佐藤由美氏と共著で『持続可能なまちは、小さく、美しい』(学芸出版社、 2008年)を刊行し、構想力・人間力・環境力・自然力・再生力を持つ地域は小さくとも持続可能であることを解き明かした。
人びとの営みが小さいこと、小規模であることに思想的、実践的な根拠と意義があることは明らである。巨大信奉とその帰結こそを正面から問い直すべきではないか。
増田寛也・元岩手県知事・元総務大臣は人口減少問題研究会と共同で「2040年、地方消滅。『極点社会』が到来する」という論文を発表した(『中央公論』2013年12月号)。 その中で「地方が消滅する時代がやってくる。人口減少の大波は、まず地方の小規模自治体を襲い、その後、地方全体に急速に広がり、 最後は凄まじい勢いで都市部をも飲み込んでいく。」と人口減少の暗澹たる末路を指摘している。地方から若者たちが大都市に流出していったが、その若者たちは子供を産み育てる余裕がない。このままでは「本来、 田舎で子育てすべき人たちを吸い寄せて地方を消滅させるだけでなく、集まった人たちに子どもを産ませず、結果的に国全体の人口をひたすら減少させていく。」とし、 これを「人口のブラックホール現象」と名づけている。これに対して、「防衛し、反転を仕掛けるための最後の拠点、『踏ん張り所』として、広域ブロック単位の地方中核都市に資源と政策を集中的に投入する」ことを提案している。
生産年齢人口が確実に減り、経済力が落ちていくことを不可避と観念すれば、「縮小」や「撤退」が強調されやすい。しかし、それ以外の選択肢はないだろうか。 藻谷浩介/NHK広島取材班は、『里山資本主義―日本経済は「安心の原理」で動く』(角川書店、2013年)を著し、 里山資本主義を「お金の循環がすべてを解決するという前提で構築された『マネー資本主義』の経済システムの横に、こっそりと、お金に依存しないサブシステムを再構築しておこうという考え方だ。 お金が乏しくなっても水と食料と燃料が手に入り続ける仕組み、いわば安心安全のネットワークを、予め用意しておこうという実践だ。」と定義している。 そして、「マネー資本主義の下では条件不利と見なされてきた過疎地域にこそ、つまり人口当たりの自然エネルギー量が大きく、前近代からの資産が不稼働のまま残されている地域にこそ、 大きな可能性がある。」という。休眠資産を再利用することで原価0円から経済再生、コミュニティ復活を果たすことができ、これによって「安全保障と地域経済の自立をもたらし、 不安・不満・不信のスパイラルを超えることができる。」というのである。
おそらく里山なんか経済的に価値がないから住む人がいなくなっていると思っている人が多いだろうが、実はそうではない。里山にはいまでも、人間が生きていくのに必要な資本があり、 それはお金に換算できない大切な生活の価値なのである。
大自然の恵みを享受できる農山漁村地域で成り立つ「生業」には大都市とは一味も二味も違うもう一つの暮らし方がある。人材・資源・情報・カネを地域で循環させる独自の生き方がある。 都市と農山漁村の人間の流れを交流から対流へ転回させるためには、人工物で固められた大都市に暮らす若者たちに向かって、田舎で暮らす人びとが、 田舎暮らしの中に倖せがある、「ほらここにある」と確言できなければならないのではないか。小さいことは、いいことであり、田舎暮らしにこそ日本の未来があると。 そのようにがんばっている全国の町村には希望があるのだと。
和食がユネスコの「世界無形文化遺産」に登録された。 多様な地域ごとにとれる四季折々の旬の食材を使い自然の美しさを表した盛り付けを舌だけでなく目でも味わう日本の食文化の素晴らしさとそれが栄養のバランスにも優れていることが認証された。 これこそが「クール・ジャパン」である。私の究極メニューは、「ほっかほかのご飯、具沢山の薄塩の味噌汁、糠漬けのお新香」である。これに少量の魚かお肉がつけば御の字である。お酒は、 日本酒に限る(と言いたい)。「麹」と「酵母」(2つとも生き物)を同時に働かせて酒を造る手法は世界に誇れる伝統技術である。ここにも自然の恵みがある。
大森 彌(おおもり わたる):1940年、東京都生まれ。東大大学院博士課程修了。東大教養学部教授、学部長を経て、2000年東大停年退職、千葉大学法経学部教授。2005年定年退職。行政学・地方自治論を専攻。地方分権推進委員会の専門委員、日本行政学会理事長、自治体学会代表運営員などを務めた。全国町村会の提言書『21世紀の日本にとって、農山村が、なぜ大切なのか』などの原案作成にかかわる。現在、全国町村会「道州制と町村に関する研究会」座長、社会保障審議会会長・介護給付費分科会会長など。著書に『政権交代と自治の潮流』『変化に挑戦する自治体』『官のシステム』など。