東京大学名誉教授 大森 彌(第2781号・平成23年11月28日)
私たちは、朝・昼・晩と、普段の生活を繰り返して生きています。普通は、この日常生活は、退屈で、味気なく、心ときめかない、当たり前の日々の連続です。そのためには忍耐が必要ですが、それと引き換えに平穏を享受してもいるのです。しかし、日常生活が途切れて普段と大きくかけ離れた暮らしを余儀なくされてみれば、日常生活がどんなに大切か、いかに心安んずるものか、しみじみと感得することになります。不慮の事故に遭い、思いもかけない病気にかかるなど、平穏な日常生活がふいに中断されることがあります。なかでも、人びとの日常生活を一瞬にして中断させるものに天変地異があります。3・11の巨大地震と大津波は東日本に途轍もない災害をもたらしました。あろうことか、福島第1原子力発電所の事故も起こりました。原発の「絶対安全神話」は消し飛びました。
被災現場からの避難は、それまでの日常生活の中断であり、平穏は失われます。避難所、仮設住宅、本居へと少しずつ日常性が回復されていくでしょうが、人びとは、震災前へ戻れないことは知っています。しかし、つつましくも衣食住に不安のない普段の生活を取り戻したいと切望しています。その日が1日も早く来ることこそが震災復興ではないかと考え、そのように応援したいと思います。
3・11に関する海外報道では、この災害時に、社会的秩序を保って互いに助け合う日本人の姿を称賛するものが目立ちました。例えば、ロシア・タス通信の東京支局長は「日本には最も困難な試練に立ち向かうことを可能にする『人間の連帯』が今も存在している」と称賛し、「ほかの国ならこうした状況下で簡単に起こり得る混乱や暴力、略奪などの報道がいまだに一件もない」と語り、英国紙『インディペンデント・オン・サンデー』は、1面トップで日の丸の赤い円の中に「がんばれ、日本。がんばれ、東北。」と日本語で大見出しを掲げ、「日本は津波の被害から立ち上がろうと闘っている」と報じました。
もちろん、被災地では閉店中の店舗から品物を盗む出店荒らしや空き巣や停車中の車からガソリンを抜き取るといった非侵入窃盗もありましたから、海外からの称賛は、少し割り引いて受け取らなければならないかもしれません。しかし、地震と津波から命をながらえ、避難所に集まった人びとの間では不足しがちな物資を分かち合う行動が起こったことは事実ですし、略奪の騒ぎは起きませんでした。困っているときは「お互い様」の言動が自然と出てきました。それは、他人への気遣いと労わりの文化がしっかり受け継がれていることを確信させます。
普段は、ある物が少なくて、それをほしいと思う人が多ければ、その物の値打ちは高まると考えられています。希少であるがゆえに、その獲得をめぐり競争や争いが起こり、才覚と力で勝るものがより多くを確保するものだと考えられがちです。しかし、被災の悲しみと苦しみを共感する人びとの間では、これとは違う価値観が台頭したように思います。ある物が少ないがゆえに、それを少しでもみんなで分け合う時、その物の価値は高まるという考え方です。象徴的にいえば、1つのおにぎりを1人占めしないで、そこに寄り添う何人かで分けて食べようとするとき、そのおにぎりに本当の価値が生まれるともいえます。分かち合いを当たり前とする考え方が希少な物の価値を決めることがあるのだ、ということが明らかになりました。
もうひとつ、「お互い様」の行動は、イザという時に頼りにならなくてどうするのかと不眠不休で奮闘している被災地の自治体を、他の自治体が傍観せず、自ら応援を買って出て、物資と励ましを届け続けていることに見てとることができます。これこそが自治体が横に結びつく自治体間連携の実践であり、これを通して、自治体の間はゼロサムの競争関係にあるのではなく、苦難を共有しようとする自立支援の関係にあることが分かります。被災からの立ち直りを通して自治体の存在理由と自治体連携の大切さが、ますます鮮明になっていくだろうと思います。
今回の被災体験は自治体間の絆を確認し持続し強めていこうとする大きな契機になっていると思います。普段はあまりその意義が感じ取れない姉妹都市の関係が災害時にいかに「ありがたい」ものであるか判明していますし、農山村と都市の交流事業がいかに「助け合い」の基盤になるのかも明らかになっています。いままで、ともすれば、国―都道府県―市町村を縦の上下関係で見る考え方が強かったのですが、まず市町村が横につながる水平関係が、それも普段からの付き合いこそが重要なのだと思います。
東日本大震災の特徴は、例えば1995年の阪神・淡路大震災と比べると、被害の大半が津波と原発事故に由来し、被災地域が広域にわたっており、しかも、そこには多数の中小都市及び農山漁村が包含されていることではないかと思います。被災した三陸海岸を訪れてすぐ気がつくことは、高さ15.5m、東北一の防潮堤と水門が大津波から普代村を救った例はありましたが、津波来襲時に人命を守る最後の砦である人工物としての防潮堤が各所で破壊され、破壊されなかった防潮堤も津波が乗り越えてしまい、三陸海岸では点在する漁村の多くが壊滅的な被害を受けたことです。自然の猛威の前には、残念ながら、この巨大な人工物は役に立ちませんでした。
津波の直撃を受け壊滅的な被害を受けた陸前高田市の女性が、テレビで「みんな、もう海辺には住まないって。海なんかいらないと」と声をふるわせていました。これを観た私は、恵みをもたらしてきた三陸の海が恨みと拒否の対象になっていることに「暗愁」の思いを禁じ得ませんでした。「暗愁」というのは、第2次大戦後死語となってしまったといわれる言葉なのですが、「ずっしりと重い心のわだかまり、深い憂い」のことです。三陸海岸の人びとが、失った人とものへの深い悲しみを抱きつつも、「海は大事だ、海と共に生きていこう」という覚悟がよみがえる日が来ることを願わずにはおれません。そこに職住近接の地域社会があったからです。
考えてみれば、18世紀の後半に産業革命を開始して以降、人間は、人間と自然との関係について、人間は自然(人間以外のもの)を征服し統制する力をもっている、もつべく使命づけられているという考え方を基本としてきました。人びとの暮らしをより便利で快適にする物づくりを行ってきましたが、それを可能にしてきたのは物質・エネルギー・情報という三つについての技術革新でした。中でも、電気は、大量に制御可能になった最初の「準人工エネルギー」ですが、今日では電気抜きの生活など考えられないほど不可欠なものになりました。日進月歩で進化している情報処理の装置も電気を利用しています。
ついに人間は電気の生産に原子力発電を持ち込みました。原子力発電は燃料のウランを連続的に核分裂させ、そのとき発生する熱で蒸気をつくり、タービンを回して発電する装置ですが、この過程で発生する放射性物質を安全に管理できることが前提になっています。頑丈な炉と人間の感覚に頼らない情報処理技術で守られていることになっています。日本の原子力発電所も、そう言われてきました。
しかし、今回の原発事故によって、原子力は電力として使うのには無理なエネルギーではないかということが明白になったのではないでしょうか。大地震と大津波は自然現象ですから防ぎようがありません。しかし、原子力発電をやめることはできます。自然を完全に制御しようとする考え方自体に無理があるからではないでしょうか。原発事故と放射性物質の飛散は、ある意味で、「人間は自然を征服し統制する力をもっている」という考え方を基礎にした産業文明のほころびが明白になったことを意味しているように思えてなりません。
岩手が生んだ詩人・童話作家の宮沢賢治には、有名な「雨ニモマケズ」があります。賢治が生まれる約2ヶ月前に「三陸地震津波」が、また、誕生から5日目には秋田県東部を震源とする「陸羽地震」が発生していますが、この「雨ニモマケズ」には、雨も風も雪も夏の暑さも出てきますが、不思議なことに地震も津波も出てこないのです。
日本列島は、繰り返し、地震と台風と津波に襲われてきました。「地震・雷・火事・親父」というように、怖いものの筆頭は「地震」なのです。地震は日本列島の本質的な特色ですから、それを制御することはできません。この一点で、産業文明の基礎になっている自然観は日本列島には当てはまりません。それに伴う災害をいかに少なくするかを工夫する以外にはないのです。
自然現象は、ときに、私たちの平穏な日常生活を中断し、いのちと生活基盤を破壊します。しかし、自然は、豊かな恵みももたらしてくれます。山の幸、里地の幸、海の幸です。「雨ニモマケズ」には、「1日に玄米4合と 味噌と少しの野菜を食べ あらゆることを自分を勘定に入れずに よく見聞きし分かり」とあります。非常時であればなおさらのこと、日本人が長年食べてきたものが一番身体に合い、元気になれます。ご飯と味噌汁です。
米は、他の穀類に比べ再生産能力が高く(1粒の米から大体千から2千粒の収穫があり、麦の5~20倍といわれる)、完全栄養食品です。しかも同じ所で毎年採れます。稲を植え、水を張って流れるようにしておけば、ほぼ必要な養分が摂れるとされています。山に降った雨水が落ち葉などの栄養分を含み湧水となって水田を潤すからです。水と山と土の大循環が稲作を可能にしています。司馬遼太郎さんは、『この国のかたち』という本の中で、「『この国のかたち』の1番の基本はやはり稲作でしょう、水と土、この水っぽい風土と、生産力の高い稲。この風土が日本の国家の原型を作った」と書いています。この日本列島で人が生きるとは、基本的には、土と水の恵みを得て日常生活を、しかも共同の生活を営んでいることを意味しているはずです。人口の都市集中と都市型生活様式の普及の中で、日本人は外国産の農産物に依存する度合いを高めています。
東京生まれの東京育ちの私ですが、意地になって、「早寝・早起き・朝ご飯」を唱え、3度の食事は米の飯、酒は日本酒か米の焼酎、パンは米粉パンでがんばりたいと思います。農業に従事しない人間が農業を応援できる基本は米の消費だと確信しています。
ですから、自然と対抗する産業文明に固執し、効率主義の経済成長を強調する学者・経済人・政治家とは違って、私は、農林水産業のさらなる衰退をもたらし、自然と人、人と人の共生と絆を弱めていくようなTTPへの参加には反対です。まして、大災害のドサクサにまぎれて、被災地の東北地方に道州制の導入を働きかけるような国の政治家には怒りを覚えます。大災害による危機に乗じて、国の役割を極端に限定し、分権など名ばかりの規制緩和と市場化を図り、地道な地域の人びとの自治の営みを押し流そうとしていくからです。人びとの真の願いとは別の動機で震災復興をねじ曲げようとする動きには警戒が必要です。
大森 彌(おおもり わたる):1940年、東京都生まれ。東大大学院博士課程修了。東大教養学部教授、学部長を経て、2000年東大停年退職、千葉大学法経学部教授。2005年定年退職。行政学・地方自治論を専攻。地方分権推進委員会の専門委員、日本行政学会理事長、自治体学会代表運営員などを務めた。全国町村会の提言書『21世紀の日本にとって、農山村が、なぜ大切なのか』などの原案作成にかかわる。現在、全国町村会「道州制と町村に関する研究会」座長、社会保障審議会会長・介護給付費分科会会長など。著書に『政権交代と自治の潮流』『変化に挑戦する自治体』『官のシステム』など。