明治大学教授 小田切 徳美
「地方創生」が国政上の大きな課題となっている。それを担当する国の機関「まち・ひと・しごと創生本部」事務局が設置された際、安部首相は次のように訓示した(2014年9月5日)。
「安倍内閣の今後の最大の課題は、豊かで、明るく、元気な地方を創っていくことであります。今までも、『地域こそ日本の活力の源である』、『地域が元気でなければ日本は元気にならない』、 こういう掛け声はあったのでありますが、残念ながら、今地域の状況は厳しい。このままでは消滅をする地域も出てくると予測されているわけでありまして、まさに喫緊の課題、待ったなしと言ってもいいと思います。」
「豊かで、明るく、元気な地方を創る」ことには異論がない。しかし、「地方創生」がこの段階で「喫緊の課題」として登場した経緯を考えると必ずしも、手放しで評価できるものではない。 安倍総理も「このままでは消滅をする地域も出てくると予測されている」と触れているように、この動きが「地方消滅」を論じた、いわゆる「増田レポート」と無関係ではないからである。その増田レポートが、 日本創生会議人口減少問題検討分科会として登場したのが2014年5月であり、先の創生本部事務局の発足が9月である。その迅速さには政治性さえ感じられる。
そして、それが問題含みなのは、一般的に、地域問題は、社会的統合の手段として政治的に利用されることが少なくないからである。実は、その典型的なケースが第1次安倍政権で起きていた。 政権が発足した2006年当時、「地域再生」が唱えられた。それは小泉内閣による構造改革路線により、「格差問題」が社会的に問題視され、 その中でいわゆる「限界集落問題」を極とする地域間格差対策が政策的課題として急浮上した。 特に、2007年7月の参議院選挙(自民党の敗北による衆参のいわゆる「ねじれ現象」が生じる)の前後では、「地域再生」策が盛んに議論された。その後、2007年10月(政権は福田内閣)には、 内閣府の都市再生本部等が地域活性化統合事務局に再編され、大型予算である「地方の元気再生事業」等の具体的取り組みを始めた。
しかし、こうした議論の盛り上がりも一時的なものに過ぎなかった。地域対策では押しとどめることができない政権交代への流れが生まれたからである。 それにともない、政治は地域をことさら重要視しなくなった。つまり、少なくとも政治的には、前回の「地域再生」は一過的なブームで終わった。政治的に急に始まり、政治的に急に終わったと言い換えても良い。
このような政治にリンクした動きとは別に、農山村では地域づくりが始まり、一部では成熟しつつある。この地域づくりは、1970年代には、「地域おこし」(特に離島の「島おこし」)という名前で、 その淵源を見ることができる。しかし、農山村で意識的、継続的に取り組まれるようになったのは、バブル経済崩壊以降の1990年代後半である。
とりわけその取り組みの体系化を意識したのが鳥取県智頭町の「ゼロ分のイチ村おこし運動」であった。 ここで見られる地域の内発力により、①主体形成、②コミュニティ再生、③経済(構造)再生を一体的に実現しようとする点は、他地域の地域づくりにもほぼ共通する。
さらに、これらの地域づくりの特徴をより抽象レベルでまとめれば、以下の3点が指摘できる。第1に、地域振興の「内発性」である。地域づくり以前の時代に、農山村で進んだ大規模リゾート開発は、 高度経済成長期の「拠点開発方式」と同様に典型的な外来型開発であった。外部資本による開発であり、そうであるが故に、地域住民の意思とは無縁の開発であった点である。つまり、カネも意思も外部から注入され、 地域の住民は土地や労働力の提供者にしか過ぎなかった。そうではなく、自らの意思で地域住民が立ち上がるというプロセスを持つ取り組みこそ「地域づくり」であることが、ここでは強調されている。
第2に、「総合性・多様性」である。リゾートブームの下では、都市で発生したバブル経済がそのまま持ち込まれ、経済的利得の獲得に著しく傾斜した地域活性化策が意識された。また、 どこでも同じような開発計画がならぶ、「金太郎アメ」型の地域振興もこの時期の特徴であった。そのような単品型・画一的な地域活性化から、福祉や環境等を含めた総合型、 そして地域の実情を踏まえた多様性に富んだ地域づくりへの転換が求められた。地域づくりでは、基盤となる地域資源や地域を構成する人に応じて、地域の数だけ多様な発展パターンがある。
そして、第3に、「革新性(イノベーティブ)」である。地域における困難性を地域の内発的エネルギーにより対応していくとなれば、 必然的に従来とは異なる新たな仕組みを内部につくり出すことが求められる。一部の農山村では人口が多かった時代の仕組みに寄りかかり、それが機能しないことを嘆く姿がしばしば見られた。 しかし、人口はやはり減少する。そのことを前提として、人口がより少ない状況を想定し、地域運営の仕組みを地域自らが再編し、新しいシステムを創造する「革新性」が求められる。
こうした特徴を持つ地域づくりが、バブル経済崩壊以降の「失われた20年」と呼ばれる「ゼロ成長」の歴史と重なり合うのは偶然ではない。 むしろ、この間に、「農山漁村は内発的にしか発展しない」という地域の覚悟が生まれ、それが「地域づくり」の原動力となっている可能性がある。 したがって、この20年間は少なくとも農山村においては、「失われた」ではなく、「未来に向けた20年」であった。
1990年代後半に本格化された地域づくりの取り組みは、各地で積み重ねられ、今に至っている。それは、前節で整理したように、①主体形成、②コミュニティ再生、③経済構造の再生を一体的に取り組んだものであった。 別の言葉で言えば、このプロセスによって、地域の人々(の意識)(①)、地域の場・コミュニティ(②)、そして地域の産業(③)をより魅力的に磨くことが行われている。 これは、キーワード的に言えば、「まち」(②)、「ひと」(①)、「しごと」(③)と、まさに「まち・ひと・しごと」であり、「地方創生」そのものである。つまり、少なくとも農山村における「地方創生」とは、 図らずも、この20年間以上積み上げられてきた地域づくりの営みであることが確認できる。
最近では、このように多面的に地域を磨き、輝く地域に移住者が集まるという好循環が生まれている。いわゆる「田園回帰」である。 つまり、地域づくりは、「地方創生」が掲げる「東京一極集中の是正」という方向性とも重なっている。
しかし、「地方創生」のあるべき姿をこのように理解した場合、それと現に進みつつある政策との間には乖離がある。いくつかの論点を示してみたい。
地域づくりのスピード感やボリューム感からして、この取り組みによって人口推移が急激に変わるものではない。 おそらく、条件にもよるが、移住者の動きが相当活発化しても農山村ではトータルの人口の減少は続くであろう。しかし、それにもかかわらず、地域には、地域づくりに関わりを持つ「人財」は増加することが期待される。 つまり、「人口減・人財増」を実現できる可能性があり、それこそが目標とするべきものであろう。
そうなると、農山村を、より少ない人口を前提として、どのように地域を維持・発展させるのかという新たな発想が必要になる(低密度居住地域戦略)。 実は、それが地理学者・宮口とし廸 (とし=にんべんに同)氏により、以前から次のように的確に論じられている。「『山村とは、 非常に少ない数の人間が広大な空間を面倒みている地域社会である』という発想を出発点に置き、少ない数の人間が山村空間をどのように使えば、 そこに次の世代にも支持される暮らしが生みだし得るのかを、追求するしかない」(宮口とし廸 『地域を活かす〔改訂版〕』、大明堂、2003年)
それは、地域の社会システムの転換を含む中長期的課題であろう。先に論じた、地域づくりの「革新性」はこの点にかかわる。「地方創生」はこのような大きなテーマとも関するという認識が重要になろう。
「地方創生」が、「地域づくり」の延長線上にあるものであれば、先に論じた、地域づくりの3原則(内発性、総合性・多様性、革新性)はそのまま関係する。特に、基本原則としての内発性は重要であり、 地域の取り組みのあり方に直接関わる。
「まち・ひと・しごと創生法」は、地方自治体による地方版総合戦略の作成を「努力義務」と規定した。「地方創生」に地域レベルの計画やビジョンが必要であることは当然であろう。 しかし、内発性が原則であれば、自治体レベルというよりもコミュニティ・レベルからの将来デザインの積み重ねが重要となる。自治体の総合戦略はそれを基礎にして作られるべきものである。
しかし、現実には、国は「地方版総合戦略の早期かつ有効な作成・実施には手厚く支援」(内閣府チラシ)と言い、総合戦略づくりと「手厚い支援」をセット化した。そのため、残念ながら、 一部の自治体では、「できるだけ早く、できるだけ国に気に入られるものを作り、できるだけ多くの金を獲得する」手段として、総合戦略を認識している。 時間がかかる地域コミュニティ・レベルからの積み上げ型の計画策定というプロセスは一般的ではない。
そこには、①時間の制約、②交付金配分と計画策定のリンク、③②を国レベルによる一方的審査、 という3つの問題が重なっている。①によりボトムアップの計画が困難となり、②により計画の形式が特に重視され(国のマニュアルに準拠しているか否か等)、 そして、③により自治体の国への依存傾向が無意識のうちに強まることとなる。「地方創生」のために重要な地方分権の理念は、いつのまにか忘れ去られている。
こうした状況をあるべきものに変えていくことが課題となろう。そうでなければ、「地方創生」と地域づくりは結びつかない。しかし、当面の対応策として、作成中(作成済み)の市町村単位の総合戦略の中に、 時間をかけて作成するコミュニティ段階の「地域デザイン」を将来、接続できる構成とすることが考えられる。総合戦略の改定は、当然のことながら、認められており、「地域デザイン」が出来た段階でそこに順次、 はめこみ、修正していくことが求められよう。
以上に加えて、「増田レポート」についても言及しておきたい。増田レポートが論じた自治体の消滅可能性については、その推計の問題点が各方面から指摘されている(例えば、岡田知弘『「自治体消滅」論を超えて』、 自治体研究社、2014年)。しかし、それにもかかわらず、このレポートに、ある種のシンパシーを持つ人々がいるのは、「地方消滅」というショックが、 地域の危機意識を生み出し、「地方創生」への転機となるという期待からではないだろうか。事実、「推計は乱暴だが、それが社会に与えた影響は評価できる。人口減少問題に対して自治体が真剣になった」という者もいる。
しかし、こうした危機意識を過剰に煽る手法については、あるべき「地方創生」の観点からの検証が必要であろう。農山村において、コミュニティ・レベルで、 いま焦点となっているのは、「ここではもうなにをしてもダメだ」という住民意識の広がりとの戦いである。これが、むしろ地域づくりのスタートラインである。そうした時に、名指しして、 将来的可能性を「消滅」と論じたことは、その諦めの気持ちを急速に拡げることにはならなかったであろうか。
そうではなく、必要なことは、地域に寄り添いながら、「○○さんの息子はあと3~4年でここに戻ってくるだろう」「あの空き屋なら、移住者が入る可能性がある」などと、具体的に考え、 地域の可能性をひとりでも多くの人々と共有化することではないだろうか。「地方創生」はこうした取り組みの延長線上に見えてくるものである。 こうした「ショック療法」には大きな副作用が伴うものであることを忘れてはいけないし、繰り返してはいけない。
先にも論じたように、農山村の「地方創生」の取り組みは、むしろ地域現場で先発・先行している。「日本版CCRC」のような新たな課題も重要であろうが、 しかしそれ以上にいままで農山村の現場で積み重ねてきた取り組みを着実に前進させることが、「地方創生」の実現に結びつく。この事実を町村の皆さんとともに噛みしめたい。
小田切 徳美(おだぎり とくみ)
1959年神奈川県生まれ。農学博士。東京大学農学部卒業。同大学院博士課程単位取得退学。高崎経済大学経済学部助教授、東京大学大学院助教授等を経て、2006年より明治大学農学部教授。 明治大学農山村政策研究所代表。
専攻は農政学・農村政策論、地域ガバナンス論ふるさとづくり有識者会議座長(首相官邸)、国土審議会委員(国土交通省)、過疎問題懇談会委員(総務省)、 食料・農業・農村審議会委員(農林水産省)、今後の農林漁業・農山漁村のあり方に関する研究会座長(全国町村会)等を兼任。 主な著書に、『農山村再生』(岩波書店)、『農山村再生に挑む』(編著、同)、『地域再生のフロンティア』(共編著、農文協)、『農山村は消滅しない』(岩波書店)等多数。