ジャーナリスト 松本 克夫(第2824号・平成25年1月7日)
幼児がお菓子をほしがっても、腹がすいているせいだと思い込んではいけない。退屈しのぎにほしがっている場合もあるからだ。大人もまた、 自分の気持ちを素直に表すとは限らない。年末の総選挙でのマスコミの世論調査では、最も望む政策として「景気対策」という回答が多かった。3人に1人以上が非正規社員、 24歳以下の若者の10人に1人は失業、東日本大震災で職を失い、再就職がかなわない被災者も多数となれば、景気をよくして雇用を増やしてもらいたいと願う気持ちはわかる。 しかし、バブル以前のように、景気対策を打てば、景気がよくなるという当てはない。望み薄であることは承知しながら、限られた選択肢の中から選んだにすぎない。
日本経済の様相は、ここ20年、それ以前とはすっかり変わってしまった。1960年代から80年代にかけて、日米経済戦争とでも呼ぶべき時代が続いた。日本からの 輸入急増で失業が増加したアメリカ側が悲鳴を上げたのである。しかし、90年代以降、日本は、韓国や中国に対して、かつてのアメリカと同じ立場に立つことになった。 どの国も、人件費が安く、次々に先進国から新鋭設備を導入している時期には、輸出が拡大し、経済は飛躍的に伸びる。成長期にある子供と同じである。中国は今、 その時期にある。しかも、中国は膨大な農村人口を抱えているから、舵取りさえ誤らなければ、成長期はかなり長く続くだろう。受け身に立つ先進国は、工場を海外に移すか、 国内の人件費を削るしかない。当然、デフレ圧力が働く。成長期から安定期への移行は避けようがない。先に安定期に入り、高い失業率が慢性的に続く欧米を見れば、 じたばたしても無駄だと気付く。中年が、身体の成長が止まったので心配だと焦るようなものだ。それでも、停滞からの脱出願望は強い。道州制導入、特別自治市などの 大都市制度改革、TPP(環太平洋経済連携協定)への参加などの議論の背景にはそうした根強い願望がある。
今回の総選挙の各党の地方自治関係の公約で一際目に付いたのが「道州制の導入」である。自民党は「道州制基本法」の早期制定後5年以内の道州制導入を目指すという。 公明党やみんなの党も、「地域主権型道州制」の導入を掲げている。日本維新の会は、「地方分権→大阪都構想→道州制」と最終目標を道州制に置いている。 道州制には消極的に見えた民主党は、「中長期的な視点で道州制を検討する」とやや前向きに転じた。こうなると、まかり間違うと、「道州制基本法」が成立しないとも限らない。
道州制構想はこの半世紀余り、浮上しては消え、を繰り返してきたが、未だにその正体がつかめない。内政の大半を国から道州に移管する構想だが、その利点がよく のみ込めないのである。道州制推進論者は、「道州制を導入すれば、日本の各圏域が経済的に自立し、自らの創意と工夫で発展を追求することが可能になる」というが、 果たしてそうか。
歴史を振り返れば、経済発展は中央集権化とともにあった。国内が小さな市場に分割されているより、国民国家に統一した方が、企業が活躍する舞台が広がったからである。 その後、欧州連合(EU)は多国間で統一市場をつくったし、今では世界市場を一つにする方向のグローバル化が進んでいる。道州制はその流れとは逆の動きだが、 国を道州に分割すれば活性化するという論理はどこから出てくるのか。
90年代に地方分権の動きが加速したのは、経済をさらに発展させるためではない。経済成長の過程で、家庭には三種の神器(テレビ、冷蔵庫、洗濯機)をはじめとした 家電製品や車が入り込んだが、それだけでは足りない。地域の実情に応じたまちづくりや福祉・教育サービスが伴わなければ、真の豊かさは感じられない。 市場拡大よりもむしろ公共サービスの充実が必要であり、その中心的担い手は市町村だという確信が分権を推し進めたのである。
道州制は「究極の分権」という言い方もされるが、経済の発展が目的の分権というのは、論理が混乱していないか。仮に、現在の日本がすでに道州制の国だったとしよう。 恐らく、「日本の経済が停滞しているのは、道州に分割された体制にあるからだ。早く道州制を廃止し、1つにまとまれば、停滞から脱することができる」という正反対の議論が出ているに違いない。
大阪都構想や横浜市などの政令指定都市が求めている特別自治市構想も、道州制構想と問題意識は似ている。大都市機関車論である。大都市が機関車となって 引っ張らなければ、日本経済は浮上できない。そのためには、大都市に都道府県並みの権限と財源を与えなければならないという主張である。大都市に財源を集めれば、 それ以外の地域に回る財源が減ることになるが、日本経済全体が発展すれば、その恩恵は大都市以外にも及ぶという。しかし、大都市が栄えれば、それに引っ張られて、 他の地域も栄えるという論理が成り立たないことは、戦後の歴史が証明しているところだ。何よりも問題なのは、道州制構想にしろ特別自治市構想にしろ、全く町村が眼中にないことである。
TPPへの参加については、各党の内部でも割れている有様だが、参加論の根底にあるのは、やはり停滞からの脱出である。目指すは輸出拡大による経済再生である。
ここでも、農村部は無視される。民主党の前原誠司氏が発言したように、「国内総生産の1.5%を占めるにすぎない農業のために、98.5%を犠牲にするわけにはいかない」 が本音である。仮にTPPにより、輸出の伸びが輸入の伸びを上回り、損得計算はプラスという結果になったとしよう。それでも農村部が打撃を受けることに変わりはない。
農業の国際競争力を強めれば大丈夫という反論もある。しかし、農業の再生と農村の再生は同じではない。多くの競争力強化論は規模拡大論である。担い手になれる 農家や企業に農地を集約して、規模を拡大すれば、競争力は強まるという。しかし、規模拡大には、際限がない。オーストラリア並みにするには、規模を1000倍に 拡大しなければならない。極端な話、1つの町村に、1つか2つの農業経営体があれば十分ということになりかねない。それで競争力は強まったとしても、過疎化はさらに 進もう。農村からのさらなる人口流出により、雇用不安はますます加速しよう。
そもそも地域社会から切り離して、農業の競争力強化を論じるのがおかしい。人は風土と切り離せない。そこの風土に育まれた人たちが引き続きその場で安心して 暮らせるようにするにはどうするか、から発想しなければならない。農業が再生しても、町や村に暮らしていた人々が外に出るしかなくなったら、本末転倒であろう。 むしろ、より多くの人たちが農村部に住めるように知恵を絞るべきなのだ。
東日本大震災から1年10カ月が経とうとしている。この災禍は私たちに防災はもとより様々な面で反省を強いたが、肝心なのは、もう戦後を引きずっていてはならない という覚悟ではないか。戦後は歴史的にも珍しい平穏な時期だった。長期にわたって戦火から免れ、地殻変動も静かだったから、安心して経済の拡大に専念できた。 人間でいえば、伸び伸びと成長期を送れたのである。しかし、もはや青年期を過ぎて、中高年の域だとしたら、生き方を改めなければならない。体よりも心の成長こそ求められよう。
東日本大震災後、「絆」がキーワードになった。家族や地域の大切さが身にしみたのである。経済成長は達成したものの、人間が個々ばらばらになった「無縁社会」化への 危機感である。高度成長の過程で、農村から都市への大量移動が起きたが、村を離れた人々を会社という「第2の村」が迎えてくれた。しかし、グローバル化が進む中で、 営利体と共同体が合体した日本的経営の会社は、共同体の部分を切り捨てた。非正規社員が増え、豊かな社会になったはずの日本は、再び大量の貧困者を抱えることになった。
新たな貧困の時代に、人々が夢見るユートピアはつつましいものである。ほどほどに食えればいい。過労死するほど働かされる人間がいる一方、仕事からあぶれる 人間がいるような状態より、皆がほどほどに働けた方がいい。ささやかでいいから、安心して結婚し、子供を育てられる家庭がほしい。子育てなどで困ったことがあったら、 気軽に周囲に相談でき、助け合う地域社会がほしい。いじめの責任を学校と家庭がなすり合うより、いつも大人の温かいまなざしが子供たちに向けられているような 地域であってほしい。子供を産み、育てることは動物なら皆やっていることだ。そうした当たり前のことが人間社会で容易でないのはおかしいではないか。しかも、 やや落ち目とはいえ、世界でも最高水準の経済力を誇る国で。
世論調査で「景気対策」を望む人たちの本当の気持ちを忖度(そんたく)すれば、そんなところであろう。ぜい沢な望みではないが、実現は「景気対策」よりはるかに 難しい。人々の生き方や社会のあり方を変える必要があるからだ。一言でいえば、競い合いの青年期から助け合いの中高年期へ、であろう。震災後の「絆」に込められた 人々の思いである。
人と人、人と自然が親密な、つつましやかなユートピアを思い描く時、それはもともと町や村が持っていたものではないかと気付かされる。「山の彼方の」豊かさを求めて、 「向都離村」を果たしたものの、行き着いたのは、ふるさとの町や村の暮らしだったとなると、化かされた心持ちにもなる。幸せは足元にあったと思い知らされる物語のようである。
しかし、町や村も、安泰ではない。過疎化や高齢化が進み、経済のグローバル化は、食料輸入の増加や工場の海外流出などの形で、地域に打撃を与える。地域は グローバル化の荒波に耐えられるよう身構えなければならない。食料やエネルギーの地産地消などにより、地域内の資源とお金の循環を高める。できるだけ外部との顔の見える 関係づくりを進める。そして、都市で疲れた人々をいつでも温かく迎え入れる態勢を整えることだろう。
フランスで長期休暇を取る習慣になったのは、不況のさ中の1936年のバカンス法制定以来である。仕事を分かち合って、失業を減らすとともに、都市の住人に農村で英気を 養わせ、農村も潤うようにする工夫である。日本でも、夏の電力不足を心配するくらいなら、仕事を休んで、農村で長期間過すようにした方が、よほど気が利いている。 農村で足りないのは稼ぎ、都市で足りないのは自然といやしだとしたら、補い合えばいい。かなりの期間を田舎で過す習慣が定着すれば、農村部も少しは稼げるというものだ。
中高年期の社会に必要なのは、少ない稼ぎで豊かに暮らす知恵である。風土に合った技を受け継いできた町村には、その知恵が備わっているはずである。これからは、 大都市が機関車となってあくせく荒稼ぎを企てるより、町や村が暮らし方の指南役となって、ゆったりと人生を味わえる社会にした方がいい。世の中が 「めでたさは中くらいなり」のつつましやかなユートピアを目指す時、町や村が主役に躍り出るはずである。
松本 克夫(まつもと よしお)
1946年群馬県生まれ。
東京大学法学部卒、日本経済新聞社に入り、和歌山支局長、熊本支局長、論説委員兼編集委員などを経て、フリーのジャーナリストに。 2009年から3年間地方財政審議会委員を務めた。
現在、日本自治学会理事、全国町村会「道州制と町村に関する研究会」委員を務めている。著書に、『風の記憶 自治の原点を求めて』(ぎょうせい)など。