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地域主権改革の混迷と土壇場の町村

印刷用ページを表示する 掲載日:2010年11月29日

ジャーナリスト 松本 克夫(第2741号・平成22年11月29日)

危うい「チェンジ」

海の向こうでは、「チェンジ」を掲げたオバマ米大統領が逆風にあえいでいるが、政権交代による日本の「チェンジ」も、何が変わったのか、よくわからないままの混迷状態にある。チリの鉱山の落盤事故ではないが、出口が見えない閉そく状況は、まるで深い坑道に閉じ込められたかのようである。

昭和の初め、二大政党による政党政治が曲がりなりにも機能した一時期があった。しかし、政争を繰り返しているうちに、国民の信頼を失い、すぐに軍部に支配を譲り渡した。政権交代があっても、出口が見えないとなったら、その二の舞を懸念しなければならない。

戦前には、テロが横行したが、今のところ、昔のテロに代わるのはマスコミを舞台にした言葉によるテロ、つまりバッシングである。もぐらたたきのように、たたく対象を次々に見つけ出し、うさばらしゲームをしているように見える。暴力に比べれば害は少ないかもしれないが、民主主義は劣化していく。ゲームにも飽き足らなくなれば、危険な扇動政治家の登場だろうか。

恐らく新政権が目指している「チェンジ」の核心は、政治主導の確立だろう。日本の民主主義が機能不全だったのは、壁が2つあったせいである。1つは、国会で多数を占めた与党が内閣をつくっても、各省が内閣の指示通りに動かないことである。強固な政官業複合体による縦割り支配が形成されていたからだ。もう一つは、中央集権体制による縛りで、自治体の自由が制約されていたことである。住民にとっては、国でも地方でも、折角一票を投じても、その意思が通りにくい壁が立ちはだかっていたようなものだ。

政治主導の確立は、その壁を崩して、住民の意思を反映しやすくすることだとしたら、中央より地方の方が反映しやすいのは分かり切ったことだ。地方分権改革が欠かせないはずである。しかし、民主党内でも、政治主導の意味が徹底しているようには見えない。混迷はそこにある。

分権改革の第二幕

90年代に地方分権推進委員会(諸井虔委員長)が主導した機関委任事務の廃止を柱とした第一次分権改革の成果は、2000年施行の地方分権一括法に集大成された。当時、諸井氏は、「まだベースキャンプを築いた段階にすぎない」といっていたから、続く2000年代は当然、第2次分権改革が推進されるものと期待されていた。しかし、そうはならなかった。小泉内閣が取り組んだ三位一体改革は、実質的には国の財政再建計画にすぎなかった。安倍内閣が設けた地方分権改革推進委員会(丹羽宇一郎委員長)は4次にわたり勧告したけれども、自公政権は1つも実行しないままに終わった。分権改革にとっての「失われた10年」である。

代わりに着実に進んだのは、市町村合併である。集中改革プランによる行革や地方財政健全化法制定、指定管理者制度なども併せて考えると、この10年は国と地方を通じた政府のリストラの10年だったことに気付く。小泉政権は「官から民へ」「国から地方へ」を2本柱にしたが、小さな政府を目指した「官から民へ」が主流で、「国から地方へ」は添え物だった。いつの間にか分権はリストラにすり替わった。

新政権は「地域主権改革」と看板を書き換えたから、従来の手法とは一変すると思われたが、中身をよく見れば、10年間休止していた第2幕を演じようとしているにすぎない。6月にまとめた地域主権戦略大綱の半分は前政権からの宿題の引き継ぎである。放置されていた丹羽委員会の勧告の実行を引き受けたのである。義務付け・枠付けの見直し、都道府県から市町村への権限移譲、国の直轄事業負担金の廃止、国の出先機関の原則廃止などである。

もちろん、新政権独自のものもある。昨年の衆院総選挙の際に約束した国と地方の協議の場の法制化、民主党がマニフェストに掲げていたひも付き補助金の廃止と一括交付金化、地方自治法の抜本的見直し(地方政府基本法の制定)などである。すでに、国と地方の協議の場の設置や義務付け・枠付けの見直しの一部は地域主権関連三法案として国会に提出済みである。

一括交付金化で露呈した無策

第二幕を開演したのはいいが、演技は心もとない。鳩山由紀夫首相は地域主権改革を「1丁目1番地」と称して、最優先課題であることを強調したが、今年の参院選挙の民主党のマニフェストでは、9番目に置かれた。菅内閣では明らかに優先順位が下がったと見られたが、地方からの批判に配慮したのか、民主党代表選挙後の所信表明演説では、5つの課題の1つに据えた。いったん9丁目くらいに下がったのが、4、5丁目に戻した感じである。

菅内閣の本気度を測る試金石はひも付き補助金の一括交付金化である。民主党の売り物の政策だから、当然、独自の案を練っていると思いきや、いざ本番となって、何も具体案を持ち合わせていないことが露呈した。一括交付金は終着駅か、地方交付税との一体化や税源移譲に行き着くための通過点かについても統一した見解はない。これでは政治主導になるはずがない。

具体案づくりは、地域主権戦略会議(議長は首相)の一括交付金グループの神野直彦主査に委ねられた。来年度は投資関係の補助金3兆円余りを一括交付金化の対象にするが、神野試案では、「地方の自由度を拡大する観点から、各府省の枠を超えて、できる限り大きいブロックに括る」を基本にし、そのブロックも、「段階的に更に大括り化」し、「投資については早期に一本化する」という制度設計になっている。一括交付金の配分については、「国の関与をできる限り縮小するため、客観的指標を導入する」としている。

しかし、配分の権限を維持したい各省は反撃に出た。地域主権戦略大綱では、各省の要求を入れ、試案の「各府省の枠を超えて」は「各府省の枠にとらわれずに」と改め、実施状況の点検には「会計検査院の検査も活用する」と付け加えた。霞が関文学は素人にはわかりにくいが、どうやら補助金の多くは各省単位の一括交付金にまとめられるらしい。地方が各省の目的とするものからはずれた使い方をしたら、会計検査院の検査で摘発するぞという脅しも利かせている。

10月初めの各省の回答取りまとめでは、221件の投資分野の補助金のうち一括交付金化が可能という回答は3件しかない。国土交通省は、今年度に創設した社会資本整備総合交付金はすでに一括交付金を先取りしたものだという姿勢であり、他の省も配分の裁量権を手放す気はない。政務三役が主導する体制になっても、依然として縦割りは強固なままである。菅首相は不十分だとして、「最後は人事権の発動も必要になるかもしれない」と政務三役の更迭をにおわせたが、果たして地域主権戦略会議は各省の抵抗を排して使い道の自由度を広げる決定ができるのかどうか。

住民自治の見直しが重点に

菅改造内閣の注目点は、片山善博前鳥取県知事の総務相への起用である。片山氏はかねて「地方分権改革の本来の目的は、住民の政治参画の機会の拡大にある」として、住民投票の活用など住民自治の改革に積極的だった。片山氏の起用は、地域主権改革が団体自治重点から住民自治重点に移る転換点になる可能性もある。

これまでの分権改革は、国の地方に対する関与の縮小・廃止や権限・税源の移譲など専ら団体自治の強化を目指してきた。こんどは、自治体内部の合意形成のあり方に光を当てようというわけである。

すでに地域主権改革の中でも、地方自治法の抜本見直しは課題の1つになっており、地方代表や識者を交えた地方行財政検討会議(議長は総務相)の場で議論が進んでいる。これまでは主に長と議会のあり方や監査制度の見直しをしてきたが、これからは住民の直接請求や住民投票制度など住民の直接参加のあり方が中心的な検討課題になろう。片山氏はかねて地方債発行の際の国との協議制を批判し、むしろ住民投票で賛否を問うべきだと主張している。ただ、住民投票については、法制化が必要か、拘束力のあるものにするのか諮問的なものにとどめるのか、対象案件は絞るのか、どういう発動要件にするか、など論点は多い。簡単には結論は出せそうにない。

関西では、府県による大規模な広域連合が動き出し、道州制論が再燃する兆しもあるが、地域主権改革の中では、全国一斉の道州制の推進は当面の課題にはなっていない。小沢一郎氏の持論の三百基礎自治体論も消えている。再度の市町村合併推進は遠のいた気配である。政治状況は急変するから、安心は禁物だが、ひとまずリストラから分権の軌道に戻ったと見てよかろう。

ねじれ国会では、地域主権改革関連法案も容易には通らないから、歩みは遅々としたものになりそうだが、義務付け・枠付けの縮小・廃止は徐々に進んでいくだろう。自治体の条例制定権は広がることになる。補助金の一括交付金化は制度設計次第だが、少なくとも補助金に比べれば自由度は増すだろう。住民自治の見直しは未知数だが、自治体に選択の余地を与える案も出ている。総じて、町村の自由度は広がる。これを生かさない手はない。

とりわけ、今後の焦点である住民自治の面では、自治基本条例制定で先駆けたのは北海道ニセコ町だし、議会基本条例を最初に定めたのは同栗山町である。住民投票も、新潟県巻町の試みが各地に飛び火した。制度の枠内で精一杯、可能性を追求する試みでは、町村は先駆的な役割を果たしてきたといっていい。自由度の広がりに応じて、再度の挑戦が期待されよう。

新たな黒船の襲来に備えて

町村の住民自治の真価が問われるのはこれからである。地域の存亡に関わる事態になりつつあるからだ。TPP環太平洋経済連携協定)という新たな黒船の襲来がそれである。関税ゼロを目指す自由貿易協定である。民主党内は真っ二つだが、菅首相はTPP参加に積極的である。

仮に巨額の対策費を農林水産業のために注ぎ込むのならともかく、現状程度ならTPP参加により第一次産業の大半が壊滅的打撃を受けようとし、町村地域の衰退は決定的になろう。第2次大戦前のブロック経済化への反省から、戦後は貿易自由化促進が世界の大勢だが、振り子が振れ過ぎている。

計算の仕方にもよるが、金だけの損得計算なら、日本もTPPに加わった方が得かもしれない。しかし、少しばかりの金と引き換えに、国土を荒れるに任せていいものか。まさに国栄えて山河なしの出現である。町村も手をこまぬいているわけにはいかない。地域の守りを堅めなければならない。自治は本来、自然を含むものだ。自然を守り、風土を生かすことが自治である。備えの基本は物と金の地域内循環を豊かにするとともに、都市との連帯の絆を太くすることだろう。そのために、衆知を集めることだ。TPPが究極の自由貿易協定なら、地域の崩壊を食い止めるために衆知を集めるのは究極の自治である。

地域主権改革というなら、地域が主導しなければ看板にそぐわない。追い詰められた地域が土壇場で踏ん張るために、足りないものは何か。制度改革はそこから考えていくべきものだ。究極の自治の現場から改革を提案していけばいい。

松本氏の写真です松本 克夫(まつもと よしお)

1946年群馬県生まれ。
日本経済新聞社に入り、和歌山支局長、熊本支局長などを経て、論説委員兼編集委員。

2006年からフリーのジャーナリスト。地方財政審議会委員、全国町村会の道州制と町村に関する研究会委員を務めている。