読売新聞東京本社編集委員 青山 彰久(第2985号・平成29年1月9日)
農山漁村の希望を語りたい。首相が地方創生を掲げて人口減少に転じた国土のあり方を政治の課題にしたことには、たしかに歴史的な意味があった。だが、どうだろう。地方の現場を歩く限り、その政策が共感を呼んで広がっているようには思えない。経済成長を追い求めるのもいいけれど、それよりも気づかなければならないのは「自然と折り合って生きる豊かさ」「共同体の中で暮らす幸せ」「互いに相手を必要とする都市と農山漁村の関係」の大切さではないか。人口減少という歴史の峠に立って新しい国土の形を考えれば、農山漁村の希望の道がみえる。
「手のなかに収まる ちょうどいい大きさの ここちよい暮らし」
「自然にとっても人にとっても 持続可能で健やかな暮らしを目指して」
こんな言葉を掲げて2016年の春、小さな食堂が瀬戸内海の島でオープンした。広島県の福山駅で山陽新幹線を降りて1時間半。バスと船を乗り継ぐと瀬戸内の海に浮かぶ弓削島(愛媛県上島町)に着く。港からそう遠くない所でその食堂を経営するのは、古川優哉さん(32) と藤巻光加さん(33)の夫婦である。2人の頭文字をとって「食堂 まるふ農園」という。
島には2人が大切にする小さな農園がある。食堂で使うのはそこで収穫した野菜なのである。味が濃くて生命力にあふれた固定種・在来種にこだわり、不耕起(耕さない)・草生栽培(雑草と一緒に育てる)を原則にしながら、化学肥料や農薬を使わない。皮もヘタも根っこもみんな食べられる。
塩とみそとしょうゆと油があれば十分。シンプルな調理で味わい深い一皿ができ、「心も身体もホッとできる健やかな野菜をごちそうします」というのが、この店のテーマだという。
毎週火曜から金曜までは畑仕事をして、食堂を開くのは土曜と日曜と月曜の3日間だけ。メニューは野菜が主役の昼ご飯が中心で、とびきり豪華だという訳ではないけれど、口に入れると、やさしい味がする。
2人が島に来たのは2011年秋だった。私が2人に会ったのは、取材で島を訪れた翌年の春のことだ。当時、地元・上島町の「地域おこし協力隊」に採用されていたのが光加さんで、優哉さんは彼女に連れられてきていた。あの時の2人は目は輝いていたけれど、まだどこか不安げだった。だが、久しぶりに会って驚いた。顔も少し浅黒くなり、一回りも二回りも大きく見えた。島が2人を育てたのである。
ともに山梨生まれの山梨育ち、高校の同級生である。「息苦しい田舎がいやで東京にあこがれた」といい、一緒に都内の大学に進学。優哉さんはフランス哲学を専攻して洋書専門店で職を得る一方、光加さんは社会学を学んで北欧に留学し市場調査の会社に就職した。収入は少なくなかったけれど、お金を使う暇もないほど忙しかった。そして、原発事故を伴った「3・11」の震災を機に考え込んだ。「土のある場所で地に足の着いた暮らしをしよう」「もうトーキョーはいいや」。ネットで偶然見つけたのが弓削島だった。
何をするか決めていた訳ではなかったが、家庭菜園用に始めた畑がきっかけで、食べ物や自然のこと、それを包む社会のあり方を考えるようになった。その結果、「物事にきちんと向き合う生き方と働き方をしよう」「農家として生きてみたい」と2人の意見が一致した。農業を教えてくれたのは島の人、築百年の古い家を直すのを手伝ってくれたのも島の人。やがて優哉さんは地元消防団にも入り、地域自治組織の書記も務めるようになっていった。
火曜から木曜まで、1泊だけの民宿もやっている。夕食は宿泊者と必ず一緒に食べるのがポリシーで、「畑のこと、島のこと、暮らしのこと、いろいろお話ししましょう」と謳う。これが2人の理想のスタイルなのである。
この2人のように、日本の農山漁村ではいま、都市に暮らしていた若い世代が地域の中に入って自分たちの生き方を見つめ直す動きが広がっている。
2014年に内閣府が実施した世論調査によれば、都市で暮らす人々に農山漁村に関心があるかを尋ねと、「関心がある」「どちらかと言えば関心がある」と答えた人が合計32%を占め、10年前の同じ調査の際の結果(21%)より着実に増えた。特に、20代の男性になると、農山漁村への定住願望が47%に達していた。
実際、過疎地の自治体で最長3年間働く総務省の「地域おこし協力隊」の制度を使って農山漁村に向かう若者は、2015年度で2,625人になった。制度が始まったのは「リーマン・ショック」で世界経済が揺れた2009年度。そのスタート時に比べ、地域おこし協力隊の数は29倍に膨れた。
若い世代を中心に、都市の住民が農山漁村への関心を高めたり、そこに新しい生活スタイルを求めたりする現象を、農業経済学者の小田切徳美・明治大教授は「田園回帰」と名付けた。
なぜ若者は農山漁村に関心を寄せるのか。同教授によれば、若者は「仕事を探していたから」というだけでなく「生きる手応えがほしいから」という答えが返ってくる。格差社会や無縁社会をさまようより、「誰もが誰かの役に立つ」と実感でき、自分の存在や役割がはっきりわかる農山漁村に惹かれるようになったとみることができる。
これは、お金と便利さを求めた高度成長期と違い、生まれた時から低成長時代を生きる世代の価値観のようだ。
「田園回帰の現象は、今の若者たちが経済が成長する時代を知らない世代だということに関係がある」と分析するのは、松永桂子・大阪市立大学准教授(地域産業論)である。その議論によれば、経済が成長した時代、頑張れば給与も上がり、自分の頑張りが企業の成長を支え、ひいては日本の経済社会の発展につながっている、という実感が誰にもあった。これに対し、低成長時代に生きる20~30歳代の多くは、大きな組織の中で自分が頑張ることが何につながるのか、自分が社会とどう関係しているのかが見えにくくなっている。ならば、組織を離れ、手の届く所に公共空間が広がる地域に入って、公共的な仕事にかかわり、新しい生き方を獲得したいと感じる人が増えてきた、というのである。
この傾向は、他者とのつながりの大切さを実感させ、自然を破壊してまで成長することへの疑問を抱かせた東日本大震災と原発事故以降、一段と強まったようだ。農山漁村は、これまでの近代化の過程で「封建的な場所」とみなされてきたけれど、人間関係が適度に緩くなってきたこともあり、そこに「共同体の中で生きる幸せ」「自然と折り合って暮らす豊かさ」を見いだす人々が着実に増えてきたといえる。
このことをさらに巨視的に考えれば、「逆都市化」という現象と深く関係している。都市へ人口が集まる都市化にブレーキがかかり、農村人口が緩やかに増える現象を「逆都市化」という。これが西欧の先進国では一足先に始まっている。財政学者の神野直彦・東大名誉教授の教えによれば、「田園回帰」も「逆都市化」も工業化社会の終焉に伴って現れる歴史的な現象である。経済活動の軸を農山漁村から都市へ移して生産性を高めた工業化社会では、人口増加と都市への人口集中がメダルの裏表のようになって同時進行していた。だが、その工業化社会の終焉が人口増加と都市化の終わりをもたらし、人々の関心は、ひたすら富を追い求めることよりも、文化や生活に向かい、美しさや人とのつながりを求めるようになってくるのだという。
坂道を登って峠にたどりつくと、それまで見ていた景色が一変するように、人口増加の時代という坂道を登っている時の風景と、峠を越えて人口減少の時代を生きる時の風景はまったく違う。そう考えると、いまは「歴史の峠」に立っているということになる。
都市に立地した工場を分散させて地方を支えた時代もあったが、もうその手法は主力にならない。製造業の現場はグローバル化し、中国などアジア各地に移っている。雇用吸収力を高めようと大型商業施設を誘致するのもいいけれど、地域外の資本に頼るだけでは、みんなが汗水流して働いて得たお金が地域の外に流出するだけになる。
農山漁村には暮らしの温かさがある。だとすれば、情報通信の基盤が整った今、大都市に無理に立地する必要がないIT(情報技術)分野のベンチャー企業を集める戦略もあるだろう。また、グリーンツーリズムや農産物の生産・加工・販売などという地域の価値を磨く分野の仕事や、高齢者や子育て支援など地域生活の課題を解決する仕事を、住民が主体になってコミュニティ・ビジネスにする方法もある。
「共同体の中で生きる幸せ」「自然と折り合って暮らす豊かさ」をベースに、豊かさを問い直そうとやってくる人々と、ずっとその地を守ってきた住民が気持ちを合わせれば、新しい共同体ができる可能性が生まれてくる。
地方消滅という乱暴な言葉で人口減少社会の危機を煽る議論が展開されたのは2014年だった。この議論にどう立ち向かえばいいのだろうか。
財政効率を唱える論者の中には、「日本には1,000兆円を超える借金があって、人口が減少して財政規模が拡大できない時代になるのだから、どの農山漁村も総花的に維持するのは無理だ」という主張がある。国土構造の設計に企業経営でいう「選択と集中」の考え方を当てはめて、「成長力のある大都市に限られた資金を回すべきだ」と公然と唱える都市研究者もいる。そして、「出生率の低い東京一極集中を是正するだけでなく、地域の中核都市や県庁所在都市に投資と政策を集中させて東京への人口流出を止める『ダム』をつくるべきだ」という主張が生まれている。これらの意見は、暗に「農山漁村のような非効率な場所は自然に消えていく方がいい」といっているようにしか聞こえない。
よく考えてみたい。都市中心の構造にして、しかも「ミニ東京」のような個性もない都市再開発を競わせるだけになっていくなら、やがてのっぺらぼうな国土になってしまう。農山漁村の共同体から引き離されてバラバラにされた人々を、ただ都市に集めるだけでは、都市自身も新たな格差と貧困という問題を抱えることにもなる。
そもそも、都市と農山漁村はどんな関係にあるのだろうか。都市とは、一定の空間の中に資本が集積し、様々な個性をもった人間や企業が集まり、市場ができ、中心には大学のような知識を供給する拠点を備えている場所である。いわば「集住と集積」の強みをベースに新しいビジネスや文化を創造する場所といってもいい。ただし、都市は海に浮かぶ島のような存在ではない。周辺の農山漁村が支えている。農山漁村の役割は、圏域全体に食料を供給したり圏域の環境を保全したりするだけにとどまらない。そこには、自然と共に生きる多彩な技や知恵があり、共同体を構成して支え合って暮らす生活スタイルがあり、競争と自己責任だけが強調されて市場原理にさらされがちな都市の人々に「暮らすことや生きることとは、どういうことか」を気づかせる役割があるのではないか。
農山漁村を安易に消滅させれば、都市もやがて衰退する。その意味で、都市と農山漁村は互いの存在を必要としている関係にあると言うべきだろう。
EU(欧州連合)の自治体が1990年代に共同して掲げた「維持可能な都市」という提案を思い出してみる。唱えられていたのは、グローバル経済の司令塔になる「世界都市」を目指す路線とは一線を画し、環境と自治を重視した維持可能な都市像だった。そのための戦略の一つに、グリーンツーリズムや地産地消を活発にして周辺の農山漁村との連携を掲げ、周辺の農山漁村が魅力を磨くとともに、都市が農山漁村と連帯して圏域全体の環境を守り文化をつくる思想が語られていた。
人口が減っても、経済が成長しなくても、幸せに暮らしていける社会の仕組みと国土をつくることが大切ではないか。思慮に欠けた農山漁村切り捨て論を退け、「都市にとっての農山漁村」「農山漁村にとっての都市」を考えた連帯の国土をつくる必要がある。農山漁村の未来はそこから生まれる。
青山 彰久(あおやま あきひさ)
読売新聞東京本社編集委員
読売新聞横浜支局、北海道支社、東京本社地方部、解説部次長を経て2007年4月から編集委員。地方自治を担当。現在、日本自治学会理事・企画委員、総務省過疎問題懇話会委員、千葉大学法経学部非常勤講師。地方6団体・新地方分権構想検討委員会委員などを歴任。著書に『よくわかる情報公開制度』(法学書院)、『住民による介護・医療のセーフティーネット』(東洋経済新報社、共著)。『雑誌「都市問題」にみる都市問題1925-1945』( 岩波書店、共著)など。長野市出身。