法政大学名誉教授 岡﨑 昌之(第3339号 令和7年11月3日)
愛媛県内子町は中心部の八日市護国地区が、1982年に四国で初めての重要伝統的建造物群保存地区に選定され、江戸時代後期から明治にかけての古い町並みを現代に活かす努力を進めてきた。隣接する大正5年建設の内子座の再生を機会に、町並み保存からまちづくりへと、全国に呼び掛けて1986年「内子シンポジウム’86-まち・暮し・歴史」を開催した。
折角なら世界最先端の町並み保存に取り組むドイツ・ローテンブルク市から学ぼうと、市長のオスカー・シューバルト氏を招聘した。市長夫妻は内子町滞在の数日、河内町長宅に滞在し、町民との交流が深まった。翌年、町長はじめ有志はお礼を兼ねてローテンブルクを訪れ、保存の実態を目の当たりにした。同市は第二次大戦時、米軍の空襲で大きな被害を受けたが、旧市街地を元どおりに復旧し、取り巻く市壁も世界中から支援を受け再生した。建物の色を規制し、鋳鉄の飾り看板だけ許可するといった試みから生まれる美しい街に、内子の人たちは魅了された。
数年後、同市へ1年間派遣された町職員は、その後町並み保存の専門家に、3年間滞在した青年はハム・ソーセージの道を究め、今は内子の名産になっている。国際交流協会も設立され、コロナ期を除いて内子からほぼ毎年、十数人の中高生が同市に派遣され、30年間で330人になる。住民はもちろん内子手しごとの会の職人も和ろうそく、手すき和紙などを携えて、実演販売をした。
国際交流といえば首長や議員だけの交流や、海外への一方通行が多いが、ローテンブルクからも市長が団長となり2、3年に一度、20、30人の市民が内子を訪れる。こうした交流の蓄積をもとに、フランスとロシアにしか姉妹都市を持たなかったローテンブルク市は、2011年アジアで初めて内子町と姉妹都市盟約を締結した。
ローテンブルクに派遣された330人の若者の多くは町外で活躍しているが、遠くからでも常に内子町を見守っている力強さを感じる。加えて内子町が取り組んできた町並み保存の試みも、こうした国際交流を通じて、アジアはおろか、欧米の都市にも影響を及ぼすことが期待される。