國學院大學 観光まちづくり学部 教授 梅川 智也(第3336号 令和7年10月13日)
九月になると、ゼミの学生たちと「合宿」と称して北海道の阿寒湖温泉を訪れる。四半世紀にわたり当地の観光まちづくりに携わってきた私にとって、特に思い入れの深い地域である。
その阿寒湖周辺の広大な土地を所有し、森と自然、そして人々の暮らしを守り続けてきたのが一般財団法人前田一歩園財団だ。観光事業者への土地貸付や温泉販売による収益を、環境保全や地域の生業の維持に循環させている。観光利用と環境保全の両立を実現する志の高い組織である。
財団の礎を築いた前田家については、あまり知られていない。薩摩藩出身で明治新政府の経済官僚を務めた実業家・前田正名が一九〇六年、阿寒湖畔の開発に着手した。当初は農場・牧場の経営を目的に国から土地の払い下げを受けたが、西欧留学経験を持つ正名は、阿寒湖一帯の深い針葉樹林とマリモの生息する湖に心を奪われた。「スイスに勝るとも劣らぬ景観」と感嘆し、「この山は切る山ではなく、観る山にすべきだ」と観光地としての未来を見通していたのである。その後、一九三一年に阿寒湖、摩周湖、屈斜路湖を含む約九万ヘクタールが阿寒国立公園(現阿寒摩周国立公園)に指定された。
正名の志を継いだのが次男・正次と、その妻で元タカラジェンヌの光子である。一歩園を財団法人化したのは光子の功績であり、アイヌ文化を大切にしたことから「阿寒の母」と慕われ、没後もその名は語り継がれている。
私が阿寒湖の観光まちづくりに関わり始めたのは一九九八年のことだ。一九一一年に湖畔ではじめて旅館が開業して以来、阿寒湖温泉は北海道観光ブームに乗り発展を続けてきた。しかし二十一世紀に入ると、団体旅行から個人旅行への急速な転換や航空自由化、有珠山の噴火など外部環境の変化が相次ぎ、地域は大きな試練に直面した。残念ながら、これまでの成功体験にとらわれ、変化への対応が遅れたことが根本的な要因である。
そこで原点に立ち返り、住民参加を軸にしたまちづくりを始めることにした。地域の将来ビジョンを話し合う住民会議には、必ず故前田三郎理事長の姿があった。海軍出身の気品ある紳士で、会議が終わるといつも私たちを叱咤激励してくださった。
いま、前田家の志を受け継いでいるのは新井田利光理事長である。合宿では財団の取組についてご講演いただき、翌朝は理事長自ら「光の森」(木漏れ日のきれいな森。光子の名にもちなみ命名された)を案内してくださる。森には樹齢数百年のカツラの巨木や、温泉が湧き出すボッケ、そして数多くの動植物との出会いが待っている。
阿寒湖の観光まちづくりに取り組む中で、ことに印象深い存在だった三郎理事長が亡くなられて三年(八月十八日)。この節目にあたり、前田一歩園財団が果たしてきた役割をあらためてかみしめている。
※「光の森」は、認定ガイドの同行時のみ入林が許される特別な場所です。