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『農業全書』のこと

印刷用ページを表示する 掲載日:2025年8月11日更新

國學院大學まちづくり学部長​ 西村 幸夫(第3329号 令和7年8月11日)

 宮崎安貞による『農業全書』という驚くべき書物をご存じだろうか。元禄10(1697)年に京都で出版された江戸時代最初、かつ最高の農業書であり、ひろく全国に流布し、その後ながらく版を重ねた書物である。その翻刻は大正時代にまで及んでいる。現在でも岩波文庫に収録され、原文を容易に入手できる。農業史の泰斗、古島敏雄氏は『日本農学史』(1946)の中で、「永年の間、1冊の著書がよくその社会的生命を保った」ことと「元禄という時代に、すでにこれだけの農書が成立していた」ことについて「驚嘆に値する」と述べている。

 『農業全書』の目次を見ると、耕作や土地の見方などの農事総論にはじまり、作物各論として、稲にはじまる「五穀之類」が19種、蘿蔔にはじまる「菜之類」が42種、芹にはじまる「山野菜之類」が18種、木綿にはじまる「三草之類」が11種、李にはじまる「菓木之類」が17種、松にはじまる「諸木之類」が13種など、作物の栽培法や耕種法が中心で、記載されている作物類はほとんどが絵入りで、合計150種に及んでいる。

 本書出版の約60年前に中国・明において『農政全書』があらわされており、本書はその引き写しの部分も少なくないが、安貞本人の実地の経験に基づいた記述も豊富である。

 著者である宮崎安貞(1623-1697)は広島藩士の子で、若くして福岡藩に出仕するが、のち職を辞し、その後、福岡西郊に「村居40年」、同地を開墾して、農耕生活を送っている。また西国を中心に諸国を巡遊し、農耕法等を学んだという。本書執筆の動機は、農民に正しい農耕の知識を持ってもらいたいということであった。

 『農業全書』は安貞唯一の著作であり、同書刊行の月に亡くなっているので、おそらく本人は出版されたこの版本を手に取ることはなかったと考えられている。文字通り安貞のライフワークであった。

 宮崎安貞の生きざまを見ていると、私自身、研究者のはしくれとしておおいに考えさせられる。私利私欲を超越した姿勢で1冊の書物の執筆に命を懸け、40年の実践の蓄積によってことを成し遂げたこと、従来の農書の多くが儒者による中国書の引き写しで、実践の知を伴っていないのに対して、『農業全書』は「漢籍の読書と名産地農法観察の美しい融合」(古島敏雄)であるということ、つまり理論と実践の両方を備えていることなどである。同時に同書は農の奥深さを私たちに的確に示してくれる。――元禄時代の一冊の書物にいま私は圧倒されている。