法政大学名誉教授 岡﨑 昌之(第3327号 令和7年7月28日)
気になって、宮本常一『忘れられた日本人』を読み返してみた。民俗学研究者宮本常一は、自分の足で日本の国内を最もよく歩いた人と言われている。我々が運営していた「地域社会研究会」で、1976年頃、島根県隠岐の調査に関わったことがある。そのとき島の人たちから「私たちより宮本先生のほうが、隠岐のことはよく知っている」と言われ、早速、都内での研究会にお呼びし、お話を伺った。話は隠岐から全国に広がり、深夜に及んだ。最後に「去年、自分の家で寝たのは三日だけです」と言われ、一同仰天したものだ。
『忘れられた日本人』では「土佐源氏」の話が有名だが、改めて興味を持ったのが「対馬にて」だ。これは昭和25年から26年にかけておこなわれた、九学会連合の長崎県対馬総合調査に参加したおりに、対馬北西部の伊奈という集落を訪れた際の記録だ。宮本は伊奈集落の寄合いに顔を出し、集落の申し合せ記録の貸し出しを頼んでいる。驚くことに「記録は古いものは二百年近いまえのものもある」としている。つまり対馬という離島の一集落の寄合いの記録が、今からすれば三百年近く前から、きちんと文字に残して伝えられているということだ。
また伊奈の昔の寄合いの様子についても「夜になって話がきれないとその場へ寝る者もあり、おきて話して夜を明かす者もあり、結論がでるまでそれが続いた」「三日でたいていの難しい話もかたがついた」「だから結論が出ると、それはキチンと守らなければならなかった」と、集落の長老の話を書き記している。
もちろん現在、こんな悠長なことはしておれない。しかし数百年、場所によっては千年を超える悠久の歴史をもつ各地の集落や地域社会において、その存続が問われようとしている現在、これほど真剣に時間をかけて、その行く末が検討されているであろうか。安易に集住や村納めの議論にくみしてはならない。集落や地域社会こそ、そこに住む人たちが自らのこととして、若者流出や人口減少の事態を真摯に受け止め、それへの対応を真剣に模索する場となるのではないか。