農業ジャーナリスト・明治大学客員教授 榊田 みどり(第3316号 令和7年4月14日)
私が幹事を務める農政ジャーナリストの会で、2025年2月から「農村政策はどうあるべきか」をテーマに研究会を開催している。先日は、2023年まで20年間、北海道東川町長を務められた松岡市郎氏を講師に招いた。
ご存じの方も多いと思うが、同町は、1985年に「写真の町宣言」、2014年に「写真文化首都宣言」を掲げ、文化を軸にした地域の魅力創出と、こども(子育て)・教育・健康(福祉)の「3つのK」に重点を置いた施策を進めてきた町だ。
注目したいのは、「写真文化首都宣言」の中で、同町が「適疎」のまちづくりも宣言していたことだ。
「適疎」という言葉は、コミュニティデザインに造詣の深い山崎亮・関西学院教授が以前から提唱していた言葉だ。コロナ禍で「密」のリスクが叫ばれたことで注目されたが、松岡氏によると、すでに1969年刊行の『過疎社会』(米山俊直著)に、この言葉の初出があるらしい。
「過疎」でも「過密」でもなく、適当に「疎」が存在する農村だからこそ、人間の顔が見え、挨拶があり、会話があり、人々が共生できる居場所がある。農村政策研究の第一人者である小田切徳美氏の提唱する「にぎやかな過疎」とも通じる言葉だが、同町はすでに2014年には、まちづくりにその視点を盛り込んでいたのだから恐れ入る。
同町も、高度成長期はご多分に漏れず人口流出が進んだが、95年に下げ止まり、以降は漸増に転じ、現在も人口約8千人と「適疎」を維持している。Iターン者が増加しているとはいえ、当然、自然減は避けられない。それでも人口が漸増している背景には、同町が「ハブ人口」と名付けて早くから取り組んだ「関係人口」の拡大もありそうだ。
たとえば、約80人という驚異の人数の地域おこし協力隊員をはじめ、地域活性化企業人、国際交流員などさまざまな省庁の支援制度を活用して人材を受け入れている。また、東川国際文化福祉専門学校日本語学校を開設して海外留学生を呼び込み福祉人材を育成。町には年間約350人の海外留学生が滞在しており、これらの外部人材も人口増を支えている。
さらに、08年のふるさと納税制度の創設時から、同制度を「ひがしかわ株主制度」として関係人口の受け皿に活用。ふるさと納税者をまちづくりに賛同する「株主」と位置づけ、年一回の「株主総会」開催で町に足を運んでもらうきっかけを作り、町を訪れた際の宿泊や飲食店等での優待制度も用意している。
ほかにも企業等と連携に取り組む「オフィシャルパートナー制度」等、あの手この手で町外とのつながりや共創の場を作り出している同町の話を聞きながら、「条件不利補正だけにいくらお金をかけても過疎は止まらない」という元自治体職員の言葉を思い出した。
条件不利補正のためのインフラ整備はもちろん大事だろうが、それだけでは、利便性の高い場所に人が流出するのを止められない。多くの農村が実感していることだと思う。
もっと大事なのは「ここで暮らしたい」と思わせる、都市にはない地域の魅力を掘り起こし、磨き、発信すること。それが「関係人口」を呼び込むことにもつながるのではなかろうか。