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三つの発祥の地

印刷用ページを表示する 掲載日:2025年3月10日更新

法政大学名誉教授 岡﨑 昌之(第3312号 令和7年3月10日)

 前から気になっていて、やっと訪れることができた町村で、思わぬ発見や感動に出会うことが多い。これも日本の地域や集落がもつ特性で、各地域が受け継いできた固有の歴史やそこにしかない価値が、色濃く蓄積されているからだろう。先輩ジャーナリストから、20数年前に紹介されていた兵庫県中央部の多可町も、そうした町の1つで、昨秋、念願かなってやっと訪れることができた。

 “兵庫は五国”といわれるように、摂津・播磨・但馬・丹波・淡路という歴史や風土の異なる5つの地域からなっている。そのなかで多可町は、東の丹波、北西の但馬の間に、播磨の国がくさびを打ち込むように入り込んでいる。くさびの先端に旧加美町、根元に旧中町、旧八千代町があり、平成の合併で多可町となった。この旧3町がいずれも日本初や発祥の地という実にユニークな町だ。

 旧加美町は古くから日本を代表する和紙の産地で、大正期に一時途絶えたが、昭和47年に杉原紙研究所が設立され、楮を原料とした高級和紙として復活した。杉原紙こそが紫式部が源氏物語をしたためた紙ではないかと、前多可町長の戸田善規さんは『紫式部が愛した紙』をまとめている。旧中町は明治期の篤農家が、粘土質の農地を活かして山田錦を開発し、多くの農家が協力してその栽培を広め、山田錦発祥の地として、現在も全国の酒蔵に酒米を届けている。旧八千代町は「敬老の日」発祥の地だ。社会に貢献してきたお年寄りに敬意を表するため、昭和22年9月15日に村独自で敬老会を開いた(当時は野間谷村)。それが県下に広がり、昭和41年には、地域から提唱された唯一の国民の祝日となった。

 こうした進取の気質は町の遺伝子となって現在に蘇っている。杉原紙は和紙として評価も高まる一方、若いデザイナーによってバッグ等も制作されている。地元養鶏家の播州百日どりは全国コンテストで最優秀賞をとる。主婦グループの活動から始まった“巻き寿司”は、地元でも好評を博し、東京銀座にも出店している。特筆すべきは、若い移住者と町の連携により、令和2年に設立された地域商社RAKUの活躍だ。若者の感覚、外部からの客観的な視点をもちつつ、地元農家や生産者と協働で、新しい商品開発や販路の開拓に邁進している。もう一つの発祥の地が生まれる予感がする。