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新たな交流の機会

印刷用ページを表示する 掲載日:2024年9月2日更新

東京大学・福島大学名誉教授​ 生源寺 眞一(第3292号 令和6年9月2日)

​ 地域農政未来塾の8期生が頑張っている。短期集中型の学びであり、多彩な講師陣のレクチャーに向き合うことで、知識の習得だけでなく、思考回路のリフレッシュが期待できる。塾生ゼミも充実している。主任講師の指導のもとで、少人数の対話が積み重ねられる。塾生にとって、日頃は接点のなかった町や村の職員との交流の機会にほかならない。自身の役場では体験したことのないタイプの議論は、塾生の脳裏に刻み込まれるであろう。この点にこそ未来塾の持ち味がある。これが私の見立てなのだが、そこには30代前半まで勤務した農業試験場での思い出がある。

​ 農業試験場では農業経営の改善に向けた調査研究が本務だった。けれども先輩研究員などの導きで、本務以外の調査研究の現場と交流する機会もあった。そのひとつが水田地帯の水利用であり、各地の農業用水に足を運ぶことになった。現場と触れ合うなかで、農業土木の専門家などと交流もできた。そんな経験が新たな研究の視点につながったのだが、同時に本務の調査研究の弱点に気づいたことも記憶している。別の現場との交流によって、視野が広がったと言ってよい。

​ 大学に転職後、とくに50代になってからは、農業・農村の現地へ大学院生に同行してもらうことも多くなった。自分自身の若手研究者時代の経験を次の世代に引き継いでいく意識が働いたことは間違いない。もっとも、院生の場合には「別の現場」ではなく、「最初の現場」であるケースも多かった。国内のみならず、ヨーロッパや中国などに一緒に足を運んだ調査研究もある。ただし、自身のかつての経験を念頭に、私から過大な義務を強いることは避けてきた。

​ 立場は変化したものの、新たな交流機会の意義は一貫して理解しているつもりである。けれども、交流のチャンスを提供することについて、現在の大学の教員組織には、そして地域農政未来塾を念頭に置くならば、現在の地方自治体には、それだけの余裕が存在するのだろうか。気になるところではある。