明治大学農学部教授 小田切 徳美(第3291号 令和6年8月26日)
今年(2024年)4月、人口戦略会議が「地方自治体『持続可能性』分析レポート」を公表した。それは、10年前のいわゆる「増田レポート」(日本創成会議(代表・増田寛也氏)、2014年5月)と重なり、強い既視感があった。周知のように同レポートから「地方消滅」の危機を論じる大合唱となっていった。
しかし、10年前と異なり、今回はメディアの冷静な報道と首長(特に県知事)の反論等が目立っている。新しいレポートが「二匹目のドジョウ」を狙ったとすれば、明らかに失敗している。
にもかかわらず気になることがある。それは、「レポートの内容はともかく、このように人口減少の危機意識を住民に与えることは間違っていない。今後、さらに進む人口減少の中でますます必要になる」という考え方である。
増田氏もある対談で次のように言う。「10年前に『消滅可能性都市』という強い言葉で表現したことに対しては、賛否がありました。(中略)ただ、関心を呼んだことは間違いなく、政府も『まち・ひと・しごと創生総合戦略』を策定しています。地方創生担当大臣も新設され、石破茂さんが任命されましたし、地方創生の掛け声のもと、多くの自治体の人口減少対策が進められました。」(『中央公論』2024年6月号、宇野重規氏との対談)。ここには、危機意識を煽って、事態を動かそうとした意図が見える。
しかし、それは正しい対応だろうか。たしかに国レベルの政策形成はそうだったかもしれないが、地域に暮らす人々が、「消滅、消滅」と言われて、立ち上がったのであろうか。筆者はそうは思わない。多くの人々が、動き始めるのは、危機意識ではなく、むしろ可能性を共有化した時ではないだろうか。それも、大きなものではなく、例えば「あの家の息子は定年で戻ってきそうだ」とか、「あの空き家はまだ使える。移住者に貸せる」などという小さな可能性の積み重ねこそが重要である。
イソップ童話の喩えで言えば、「北風」ではなく「太陽」路線で小さな可能性を地域で共有化し、少しずつそれを大きくすることが地域再生につながっている。逆に、危機の大きな演出が、北風として小さな可能性を吹き飛ばしてしまう傾向がある。
その点にかかわり、筆者は10年前の「増田レポート」の後に、本欄(2015年8月24日号)で次のような議論をしている。厳しい言葉であるが、あえて繰り返したい。「自治体に問われているのが、増田レポートの有無にかかわらず、『太陽』の役割を日常的に果たしているのか否かである。 自治体が『太陽』でなくなったのを見きわめて、『北風』が登場した可能性があるからである」。今回もこのことを共有化したい。