國學院大學まちづくり学部長 西村 幸夫(第3285号 令和6年7月1日)
行政学の大家の東大名誉教授、大森彌先生がお亡くなりになってはや1年近くがたつ。大森先生は「町村週報」にも数多くのコラムを執筆され、全国町村会ともつながりが深かった。私は専門分野も年恰好も先生とは異なるがいくつかの忘れられない接点があった。
一番古い思い出は、東大紛争から間もないころの教員間の混乱した会合でのことだった。たしか大森先生は当時、教養学部長で私も何らかの執行部の役割で、教員の不満を受け止めなければならない立場だった。その際、大森先生は泰然自若としておられ、若い私に言うべきことを言うタイミングを的確に指示してくれたことを覚えている。そして、そのタイミングが、私自身も何か発言しなければ、と思うタイミングと同じだったのを印象深く思い出す。
また、それから随分時間が経過したのち、自治体学会のお世話係の役目を先生から引き継いだのち、総会等の会場の片隅に静かに座って後任のメンバーの発言を静かに、しかし注意深く聞いておられた姿が印象に残っている。
晩年には、(財)地域活性化センターの事業である全国地域リーダー養成塾の塾長を大森先生から引き継ぎ、大森名誉塾長と二人三脚で塾生の指導にあたってきた。その際、大森先生は、「思い入れの強い町村との関係は、なかなか文章として発表できるようなものではない」としみじみ語っておられたのが記憶に残っている。研究のための付き合いではなく、地域の痛みや志に共感し、仲間としてなんとかしようという気持ちが先生を突き動かしていたのだろう。
お亡くなりになったあと、自治体学会の会誌で追悼特集が組まれ、その中で、大森先生が若いころ大変な苦学をされたことを初めて知った。高校も夜間だったという。ご苦労された分だけ、他者の痛みや苦しみも自分事としてお感じになっていたのだと今にして思う。だからこそ条件不利地域への想いも人一倍強かったのだろう。大森彌先生のにこやかではにかみがちの笑顔の背後に、そうした強い思いがあったことを知って、粛然とした。