ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > コラム・論説 > 関東大震災100年に思うこと

関東大震災100年に思うこと

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年10月30日

ジャーナリスト 松本 克夫(第3259号 令和5年10月30日)

 関東大震災の研究を30年続けている地震学者の武村雅之氏(名古屋大学特任教授)によると、関東大震災当時の東京市の人口は約227万人で、被災した市民は約170万人。生き残った163万人のうち家を失った人は136万人もいた。このうちほぼ半分の約67万人が市外に避難した。今では東京23区に含まれる東京府下の郡部への避難も含め文字通り全国に散らばったといっていい。

 現在の東京都の人口は約1400万人であり、100年前の東京市の人口の6倍を超えている。耐震化が進んだとはいえ、関東大震災級の地震に襲われれば、大量の避難者が出よう。100年前の東京市民は恐らく地方に実家や親戚を持ち、いざという時、頼れる先の目星がつく人が多かったはずである。昨今では実家の土地や家を引き払ってしまい、墓までも自宅の近くに移す例が増えている。避難先の当てのない人は多かろう。東京の場合、土地の制約もあり仮設住宅の建設もままならないことが想定される。国は、自治体が空き賃貸住宅を借り上げて仮設住宅として供給する方式で急場をしのごうとしているようだが、空き住宅も被災しかねないし、必要な数をそろえられるかどうか心もとない。

 こうした都会の人たちの不安解消になればと、鳥取県智頭町が10年以上も前に考案したのが「疎開保険」である。戦時中は戦災から逃れるために地方への疎開が相次いだが、その災害版を想定した仕組みである。この保険に加入すれば、災害に遭って避難する場合、同町から7日分の食事と民泊の提供を受けられる。災害がなくとも、縁ができた同町で森林浴などを楽しんでもいいし、特産物のお届けサービスもある。いわば「第二のふるさと」の提供である。

 今後30年間に首都直下地震が起きる確率は70パーセントという。災害に備えて都会と田舎とが知恵を出し合えば、ほかにもさまざまな助け合いの形が考えられるに違いない。