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都市住民と「むら」と「ムラ」

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年9月18日

農業ジャーナリスト・明治大学客員教授 榊田 みどり(第3254号 令和5年9月18日)

 先日、東京都清瀬市で、シンポジウム「農でつながる・つなげる私たちの皆農宣言」に講師として参加した。事前に実施された非農家市民と都内農業者のアンケート調査報告があったのだが、実に興味深かった。

 非農家都市住民には「農に何らかの形で関わりたい」と思っている人が多い一方で、農地を借りるのは「時間・距離・農具・ノウハウ・体力などを考えると管理を継続していくのは不安」という声が多く、逆に、農業者では、農地を借りたい都市住民に「条件次第では農地を貸すことも検討する」との回答も多いが、「基本的には貸さない。興味本位では長く続かないのでは」など不安視する声も少なからずあったのだ。

 農に関心はあるけれど、関わる自信がない都市住民。都市住民の関心自体は、歓迎とは言わないまでも受け入れるが、継続性を信用できない農業者という図式で、この両者の距離をどう縮めるかがシンポジウムの大きなテーマになった。

 結論だけ言うと、都市住民が徐々に農や農業者との関わりを深め、技術や農的世界への知識を深められるようなステップ・バイ・ステップの仕組みづくりの一方で、その仕組みを通じて農業者と消費者との距離を縮め、農業者の消費者への信頼を高めることで、ミスマッチを減らす重要性があると感じた。

 これは現在の都市と農村の意識格差に関わる課題と重なる部分が多いと感じる。ある町が公開した田舎暮らしの心得が、SNSで「ムラ社会の闇」と批判された。また、「ヴィレッジ」「ガンニバル」など、「ムラ社会」の同調圧力や閉鎖性を取り上げた映画やドラマが増えているとの記事が朝日新聞に掲載された。

 「ムラ」という言葉は、「原子力ムラ」「永田ムラ」とマイナスの意味で使われる。一方で「むら」は、「コミュニティ(共同体)」「相互扶助」などプラス・イメージで語られることも多い。「ムラ」と「むら」のイメージの差は大きく、都市と農村の意識格差が開くほど、そのイメージ格差も増幅していると感じる。

 であれば、「むら」の魅力や価値を、農村に関心のある都市住民に理解してもらうには、やはりステップ・バイ・ステップで徐々に関係を近づける仕組みづくりが必要ではないか。多少のハレーションも、それで互いに背を向けるのではなく、逆に両者の距離を縮める機会に活かせたらと思う。