ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > コラム・論説 > 旬の山の恵みと財布の紐~40年ぶりの「月山山菜そば」

旬の山の恵みと財布の紐~40年ぶりの「月山山菜そば」

印刷用ページを表示する 掲載日:2022年7月25日

國學院大學 観光まちづくり学部 教授 梅川 智也(第3207号 令和4年7月25日)

先日、久しぶりに山形県内を旅行した。もう40年近く昔の話になるが、山形県観光基本計画の策定に関与することとなり、県内各地を回ったことがある。そのときと同様、今回も大いに感動したのが西川町の「月山山菜そば」だ。地域ぐるみでそばに取り組むところは、お隣の会津地域など今や珍しくなったが、ここはその元祖ともいえるだろう。

「東の奥参り、西の伊勢参り」と言われ、山岳信仰の対象であった出羽三山。六十里越街道は1200年以上の歴史をもつ信仰の道だ。昭和50年代初頭、月山新道(月山花笠ライン)の開通に向けて、何か西川町の名物を作ろうと勉強会から始まったのがこの月山山菜そばだ。私は誕生して間もない時期に食べに来たわけだが、40年経った今でも13軒のお店が月山山菜そばの統一ブランドで継続的に提供していることは素晴らしい。

誕生の由来は「山菜料理」発祥の宿として有名な1軒の旅館の役割が大きい。そもそも山菜は“山のもの”といわれ、飢えを凌ぐ“糧もの”の意味合いが強く、決してお客様に出すものではないというのが世間の常識だった。それを山菜料理として確立していく過程では全国各地を回って食材と料理の研究をされたようだ。その貴重な成果を地域のためにという利他の精神こそ、賞賛されて然るべきだろう。

通常、山菜そばといえば、かけそばに山菜が少し乗ってくる程度だが、月山山菜そばは全く異なる。大量の山菜が入った「山菜鍋」に近い。しかも趣のある「鉄鍋」で、それをコンロに掛け、熱い汁に別盛りのそばを浸していただく。使っている水はもちろん「月山の伏流水」。惜しみない量の山菜がなぜか潔さを感じさせ、そしてお得感と満足感を与えてくれる。わざわざ来た甲斐があったと。

春の山菜、秋のきのこという年2回の「旬」を売りにしていることも秀逸な地域戦略だ。そして、 地域経済からみると、山菜の原価はほぼゼロ、そばも町内で製造されており、食べに来た観光客が落とすお金の大半が付加価値として地域内を循環する。歩留まり率の高いサーキュラーエコノミーである。地元の方々にとっては、また山菜か、またタケノコか、またキノコか、なのかもしれない。ただ、我々観光客にとって旬の食は、かけがえのないご馳走、財布の紐は緩くなる一方だ。