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偉大な風景のもとでの地域連携  ―阿蘇地域振興デザインセンター―

印刷用ページを表示する 掲載日:2022年4月4日

早稲田大学名誉教授 宮口 侗廸 (第3195号 令和4年4月4日)

寒い冬がようやく終わったかと感じられた3月中旬、(公財)阿蘇地域振興デザインセンターの地域づくりセミナーの講師として5年半ぶりに阿蘇を訪れることができた。阿蘇は世界最大級のカルデラとその中の活火山で早くから大観光地となってきたが、その周りがわが国最大の牧草地となっていることが、世界に二つとない風景をつくってきた。そして野焼きの後の黒い草原に出会えるのがこの時期なのである。2016年の地震で寸断された交通網はようやく改善されたが、昨秋には噴火で入山できなくなるなど、被害も続いた。今は噴火警戒レベルが2となり、草千里までは行くことができ、噴煙と白っぽい噴出物を見ることができた。

このデザインセンターは1990年、熊本県と当時の阿蘇郡12町村の出捐によって、阿蘇環境デザインセンターとして設立されたもので、96年からは事務局長を全国公募とし、地域プランナーとして阿蘇郡小国町にかかわっていた若井康彦氏が就任した。小国町が宮崎暢俊町長のもとで、小国ドームなど悠木の里づくりで全国に名を馳せていた時代である。当時12もの町村で連携して財団をつくることは例がなく、支えた熊本県の英断には敬意を表したい。98年には改称し、2013年には公益財団法人となった。

若井事務局長は着任後出捐金の増額に尽力するとともに、冬の阿蘇が死んでいることに気づき、「冬の阿蘇をつくろう」と町村に呼び掛け、いくつものフォーラムやイベントを企画した。小国町の縁で親しくなった筆者もたびたび呼んでもらった。センターには各町村から交代で職員が派遣されるようになり、今も3名が勤務している。若井氏の指導で世の中をいかに動かすかを学び、町村役場に戻って地域づくりに活躍した職員を、筆者は何人も知っている。今やこのような派遣による人材育成は当たり前になっているが、当時は極めて先駆的な動きであった。

その後合併で1市7町村の体制となった。この6年間の事務局長は、かつて小国町の木魂館を根城に九州ツーリズム大学の運営などで名を馳せた江藤訓重氏であり、この間熊本大学との連携協定の締結、あそフラワーツーリズムの推進、阿蘇地域観光地域リーダー育成講座や阿蘇未来創造塾の開催、阿蘇の大自然を歩くフットパスの設定など、斬新な取組みにチャレンジしてきた。氏は3月で任期を終えるようだが、世界に二つとない大阿蘇の風景のもとでの地域連携のますますの発展を期待せずにはいられない。

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