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町村が育てた五輪選手

印刷用ページを表示する 掲載日:2022年3月7日

ジャーナリスト 松本 克夫(第3191号 令和4年3月7日)

北京冬季五輪をテレビ観戦しながら、ウインタースポーツがあってよかったとつくづく思った。冬に雪や氷に閉ざされる地域の多くは条件不利地域と見なされ、大抵のスポーツでもハンデを負っている。しかし、こと冬のスポーツとなると立場が逆転する。寒冷地の小さな町や村でも熱意さえあればオリンピック選手を育てることは不可能ではない。

オホーツク海を望む酪農の町、北海道別海町は、今回の五輪にスケートの新浜立也、森重航、郷亜里砂の3選手を送り出した。60年代に体育教師として同町に赴任した楠瀬功氏がリンクを手作りし、別海スケート少年団白鳥を結成したのが始まりだった。凍えるような夜に、大人たちが水まきをして作ったリンクが少年たちの夢を育んだ。キャベツで知られる群馬県嬬恋村でも、田んぼリンクを練習場にして、スケートの黒岩彰選手ら6人の五輪選手が育った。今大会には1万メートルに土屋良輔選手が出場した。

カーリングのロコ・ソラーレが本拠地にするのは北海道旧常呂町(現北見市)。酒屋を営んでいた小栗祐治さんが40年ほど前に仲間と屋外に手製のカーリング場を設け、手製のストーンで始めたのが「カーリングの聖地」への第一歩だった。今大会では銀メダルを獲得したロコ・ソラーレだが、4年前の平昌五輪で銅メダルを獲得した後、吉田知那美選手が「この町にいなかったら夢はかなわなかった」と語ったのが印象的だった。

スキージャンプでは、ジャンプ少年団を持つ北海道上川町や下川町が有力選手を育ててきた。上川町からは原田雅彦、高梨沙羅ら、下川町からは葛西紀明、伊藤有希らの選手が出た。この外にも、北海道幕別町出身の高木菜那・美帆姉妹、長野県白馬村出身のノルディックスキー複合の渡部暁斗・善斗兄弟など町村から世界に羽ばたいた選手は多い。

今回の五輪で、アスリートとは身をもって人間の能力の限界に挑戦し、可能性を切り拓く人たちのことだと悟った。アスリートというあくなき挑戦者を育てた町村に乾杯。