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学校のグラウンドは緑の芝生になるか~コロナ禍に日常生活圏の質を考える~

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年12月13日

國學院大學教授 梅川 智也(第3183号 令和3年12月13日)

今からちょうど25年前の1996年、Jリーグが打ち出した「百年構想」は、日本にも豊かなスポーツ文化を根付かせようと

・あなたの町に、緑の芝生におおわれた広場やスポーツ施設をつくること。

・サッカーに限らず、あなたがやりたい競技を楽しめるスポーツクラブをつくること。

・「観る」「する」「参加する」。スポーツを通して世代を超えた触れ合いの場を広げること。

という3つの目標を掲げた。

当時、地域がスポーツによって豊かになるかもしれない、学校のグラウンドも緑の芝生になるかもしれないと、少なからず感動を覚えた記憶がある。ご承知の通り、Jリーグはドイツのフェライン(地域密着型のスポーツクラブ)の1つであるブンデスリーガをモデルにしたといわれている。

日本とドイツのスポーツに対する国民意識の違いは対照的である。明治政府の初代文部大臣・森有礼が、これからの日本人には「知育、徳育、体育」が重要であると学校教育に体育を取り上げて以降、日本におけるスポーツ(体育)の振興は「学校」、そして卒業後に就職する「企業」が中心となった。それに対してドイツは、国民の健康を維持するため、暮らしに密着した「地域」でのスポーツが定着している。

近年ではスポーツを集客のためのイベントとしてとらえがちな日本に対し、あくまで都市や生活の質の充実としてスポーツをとらえるドイツ。いずれも大切な視点であるが、日本は身近な生活圏でのスポーツ施設やいつでも使いやすいスポーツクラブの充実など、暮らしの豊かさという点で及第点はつけられるのだろうか。「百年構想」から四半世紀が経過した現在、目標としていた学校のグラウンドの芝生化もほとんど進んでいない。

コロナ禍のもと無観客の東京オリンピック、パラリンピックを経験した日本。改めて誘客のため、地域振興の手段としてのスポーツという考え方は、再考してもいいのではないだろうか。無論、ビジネスとしてのスポーツや地域活性化の手段としてのスポーツを否定するものではないが、改めて暮らしに根ざした日常生活圏でのスポーツ環境の質が問い直されることを期待している。