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全国町村会創立100周年記念寄稿 全国町村会100年の歩みへの讃歌

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年11月15日更新

東京大学名誉教授 神野 直彦(第3180号・令和3年11月15日)

1.全国町村会の世紀

全国町村会が産声をあげてから、100年にわたる長き歳月が刻まれたことに、畏敬の念を込めて、心からの祝辞を申し述べさせていただきたい。現在という歴史の高見から顧みると、全国町村会の100年の歩みは、個性豊かな地域社会をまとめあげた町村が、それぞれの地域社会の個性をより豊かにすることを求めて、温かい手と手をつなぎ協力して、事に当たろうと決意し、茨の道であろうとも着実に力強く歩み、未来を切り拓いてきた歴史である。こうした栄えある歴史を築かれた全国町村会の皆様方の弛まぬ努力を敬うとともに、心よりの称賛の言葉を捧げたい。

それにしても、100年という時の流れは、あまりにも長い。現在では「人生100年時代」だといわれるけれども、そうだとしても100年という時の流れは、人間にとっては人生のすべてである。そのため100年という時の流れは、歴史の区切りとして用いられ、「世紀」と表現されている。

「世紀の大事業」といえば、人間の歴史を画するような大事業を意味するし、「繁栄の世紀」とか「動乱の世紀」とかと表現されると、一つの時代の特色を示すものとして用いられる。全国町村会の歩んだ100年を省察すれば、第一次世界大戦から始まり、強風と荒波が吹きすさんだ「疾風怒濤の世紀」といえるかもしれない。そうだとしても全国町村会の歩んだ100年は、人間の生活の「場」である地域社会から、人間の絆を編み上げ、そうした絆を基盤に、町村間に協力の絆を築き、人間の生活を発展させてきた「全国町村会の世紀」と特色づけてよいように思われる。

しかも、全国町村会の使命は膨らむばかりで、来るべき100年でも、「全国町村会の世紀」としての意義を充実させていく使命を担うことになると思われる。それは人間の社会を襲っていた強風と荒波が収まるどころか、激しさを増し、自然環境と社会環境という人間の生活を包む二つの環境が破壊されようとしているからである。つまり、「疾風怒濤の世紀」を抜け出たかと思うや否や、より厳しい「疾風怒濤の世紀」を迎えようとしているからである。こうした事実を、「新型コロナウイルス感染症」のパンデミックが、この100年の画期を襲っていることが雄弁に物語っている。

2.全国町村会の理念の定着

​不思議なことに、パンデミックは、「疾風怒濤の世紀」の開幕を告げる鐘のように、歴史の画期を襲っている。人間の生活が営まれている地域社会を襲う危機に、全国の町村が協力して立ち向かおうと、全国町村会を全国町村長会として創設した時にも、スペイン風邪のパンデミックが襲っている。

「封建時代の全般的危機」といわれた農業社会から工業社会への転換期には、黒死病のパンデミックが襲ったのに対して、スペイン風邪によるパンデミックは、軽工業社会から重化学工業社会への転換期を襲ったことになる。スペイン風邪のパンデミックでは第一次世界大戦末期の1918(大正7)年から翌年にかけて死者数が、世界で2、500万人にも上り、それは第一次世界大戦と第二次世界大戦を合計した死者数を上回っている。日本でも死者数は50万人にも達したのである。

しかし、人間の社会を構造的に変化させるインパクトの大きさからいえば、いかに死者数が多くとも、パンデミックよりも第一次世界大戦や第二次世界大戦、さらにはその間に生じた世界恐慌のほうが圧倒的である。それは戦争や大不況が、人間の社会によって創り出された内在的危機なのに対して、パンデミックは人間の社会を外側から襲う外在的危機だからである。

人間の社会が創り出した内在的危機であれば、人間の社会を構造的に改革すれば、克服することが可能である。ところが、外在的危機に対しては、人間の社会はそれに適応していくしかないので、人間の社会の構造的変化へのインパクトは小さくなる。

全国町村会は第一次世界大戦という内在的危機がもたらした地域社会の共同の困難を克服するために結成されている。第一次世界大戦が生活の「場」である地域社会にもたらした窮状は、1918(大正7)年7月の富山県魚津町に端を発し、全国的規模へと波及する米騒動となって噴出する。

この米騒動が勃発した1918年(大正7)に、34歳で三重県渡会郡七保村の村長に就いた大瀬東作は、地域社会の窮状を打開するために、「義務教育費国庫負担増額運動」を展開していく。「義務教育費国庫負担」は財政調整機能をも備えていたので、現在でいえば交付税増額を要求したといってもよい。

こうした「義務教育費国庫負担増額運動」を進めるためには、全国の町村長が協力して事に当たる組織が必要だと考えた大瀬東作は、全国町村長会の設立に動いていく。1920(大正9)年10月に三重県町村長会が結成され、全国町村長会の創立準備委員会が設けられる。さらに同年12月に開催された町村長会総会で、全国町村長会の設立が満場一致で決定される。こうして1921(大正10)年2月、全国町村長会が設立されたのである。

全国町村長会設立を決定した町村長総会で、大瀬東作は「この組織は今回の小学校問題の解決だけではなく、町村自治振興のためにも急務である」と主張している。実際、設立された全国町村長会は、「義務教育費国庫負担増額運動」だけではなく、「町村自治振興」のために、地租と営業税という二つの国税を、地方税に委譲せよという「両税委譲運動」をも展開し、大正デモクラシーの地方分権運動を牽引していくことになる。

こうした大正デモクラシーの成果として、1928(昭和3)年に普通選挙が実現する。この日本の民主主義の記念碑ともいえる初めての普通選挙では、時の二大政党の一つである政友会が、次のような選挙ポスターを掲げたのである。


地方に財源を与ふれば

完全な発達は自然に来る

地方分権丈夫なものよ

ひとりあるきで発てんす

中央集権は不自由なものよ

足をやせさし杖もらふ


この選挙ポスターが雄弁に物語るように、大正デモクラシーは地方分権運動として展開したといってもいいすぎではない。しかも、そうした地方分権運動は、全国町村長会が町村を下から上へと協力原理で組織化することによって表出していたといってよい。

ところが、初めての普通選挙が実施された翌年の1929(昭和4)年に日本は、世界恐慌という「内在的危機」に襲われてしまう。この世界恐慌からの脱出過程で、「自分さえ良ければ」という社会的行動原理に支配されて、日本は戦争への道を突き進むことになる。もちろん、戦争遂行それも総力戦を遂行するには、中央集権化を推進せざるをえない。そのため大正デモクラシーを担った全国町村長会が取り組んだ地方分権とは真逆の方向へと、歴史の舵が切られていくことになったのである。

しかし、第二次大戦後の戦後改革で、民主化が進められると、全国町村長会が「町村自治振興」を求めて取り組んだ課題が実現していくことになる。もちろん、租税制度を中心にした財政制度の戦後改革は、1949(昭和24)年の『シャウプ勧告』にもとづいている。

『シャウプ勧告』は地方自治が戦後改革の「窮極目的の一つ」との認識を示し、そのためには地方自治体の財政力を強化するとともに、地方自治体間の財政力の均等化の必要性を唱えている。それは大正デモクラシー期に全国町村長会が追求した理念が、戦後改革で甦ったといってもいいすぎではない。

実際、シャウプ勧告は地方自治体の財政力を強化するために、地租と家屋税を、不動産税つまり固定資産税に鋳直して、市町村の独立税とし、営業税を事業税に改め、道府県の独立税とすることを勧告している。それは全国町村会が展開した「両税委譲運動」が実現し、現在の地方税制度として定着したものということができる。

さらに『シャウプ勧告』は地方自治体間の財政力を均等化する財政制度として、財政調整機能と財源保障機能を備えた平衡交付金の創設を勧告している。これも全国町村長会の「義務教育費国庫負担増額運動」が結実したものであり、現在の地方交付税制度として定着したと認めることができる。

 

3.新しき使命

全国町村長会が新しき100年へと旅立とうとする時に、旧き100年の旅立ちの時と同様にパンデミックに襲われている。それは過ぎ去りし旧き100年で、全国町村会が先達の役割を果したように、来るべき新しき100年でも「導き星」の役割を果す使命があることを物語っていると思われる。

全国町村会は軽工業基軸の工業社会から重化学工業基軸の工業社会へと転換する「危機の時代」をスペイン風邪のパンデミックが襲っている時に誕生している。それに対して重化学工業基軸の工業社会が行き詰まり、ポスト工業社会へと転換する「危機の時代」を、新型コロナウイルス感染症のパンデミックが襲っている時に、全国町村会は旅の衣を整えて、新たな100年へと旅立とうとしている。

重化学工業を基軸とした工業社会は、大量生産・大量消費によって高度成長を実現したけれども、自然資源の大量消費による自然環境の破壊で行き詰まっていく。しかも、弱肉強食、優勝劣敗の市場原理を野放図に拡張したために、家族やコミュニティという人間の絆を劣化させ、社会環境をも破壊していくことになる。

自然環境と社会環境の破壊という二つの環境の破壊は、人間の生存そのものを脅かす根源的危機である。そもそも自然環境にも、人間の社会そのものである社会環境にも自己再生力がある。そうした自己再生力を持続可能にしなければ、人間の生存が不可能になるという危機感は、広く世界が共有するようになっている。

それは国際連合が「持続可能な開発目標(SDGs)」を掲げたことが如実に物語っている。「SDGs」とは自然環境と社会環境という二つの環境の自己再生力を持続可能にする発展を目指していると考えられるからである。

しかし、自然環境と社会環境の再創造には、地域社会の構成員が協力して取り組み、それを基盤にして地域社会同士が協力をするというように、下から上へと協力原理を積み上げる必要がある。幸いなことに日本の町村には、人間と自然とが「生」を「共」にする自然環境と、人間と人間とが「生」を「共」にする社会環境が息づいている。その息吹を育て、二つの環境を再創造するヴィジョンを描くことこそ、全国町村会の新しき使命なのである。

全国町村会が未来に向かって新しき使命を抱き、旅立たれることを心を時めかせながら期待し、創立100年の祝辞としたい。

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神野先生神野 直彦(じんの なおひこ)

1946年、埼玉県生まれ。東京大学経済学部卒業。同大学院博士課程単位取得退学。大阪市立大学助教授、東京大学経済学部助教授、東京大学・大学院教授、同大学院経済学研究科長・経済学部長、関西学院大学・大学院教授、日本社会事業大学学長などを歴任。東京大学名誉教授。紫綬褒章受章。

地方分権改革推進会議委員、地方分権改革有識者会議座長、地方財政審議会会長、社会保障審議会年金部会部会長、税制調査会会長代理などを歴任。

著書に『経済学は悲しみを分かち合うために-私の原点-』(2018年、岩波書店)、『地域再生の経済学』(2002年、中央公論新社・2003年度石橋湛山賞受賞)、『財政学』(2002年、有斐閣・2003年度租税資料館賞受賞)、『システム改革の政治経済学』(1998年、岩波書店・1999年度エコノミスト賞受賞)など。