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コロナ禍で見えてきたこと

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年7月5日

ジャーナリスト 松本 克夫(第3165号 令和3年7月5日)

ある雑誌の企画で、北海道の町村長有志のオンライン座談会の司会を頼まれた。コロナ禍での町村長さんたちの苦労話を聞かせてもらったのだが、大都市に比べれば感染者はごくわずかとはいえ気苦労は多い。「小規模自治体では、感染者が出るとすぐに犯人探しが始まります」「個人情報の取り扱いに一番困っています。どこまで公表するかの判断に迷いました」という悩みは共通している。

国の方針に沿って、一斉休校やワクチン接種などに努めてはきたものの、「全国で一斉休校したことは大いに疑問です。人口密度が全く違う環境下で同じ対応は必要ないと思います」という疑問や後悔の念は消えない。

ワクチン接種にしても、自治体間で競わされているようで辛い面もある。「自治体ごとの進捗をメディアがあおっているのが残念でたまりません。遅れている町が悪いように聞こえますが、それぞれの町にはそれぞれの事情があります」とこぼす声もあった。

もっとも、悪い話ばかりではない。コロナ禍で気付かされたこともある。インバウンドの観光客が一気に減少したのは打撃だったが、国内客を大事にするきっかけにはなった。「以前はインバウンドの団体客が大型バスの席を確保していたので、道内の客は乗れなかったのですが、外国の客が来なくなった分、道内の家族連れが大勢来てくれました。もっと道内の方々に地元の良さを伝える必要性を痛感しました」という反省の弁を聞いた。

密の地域が地震や感染症に弱いことを思い知らされた以上、人々の目は当然疎の地域に向かう。「移住に関する問い合わせは増えています。昨年は200件を超える問い合わせがありました。かなりの人が都会を離れたくて情報収集をしていることがわかりました」という報告もあった。東京五輪が近付き、「安全・安心」が連発される昨今だが、一国として見れば、いつでも受け入れてくれる疎の地域の存在こそ究極の安全・安心である。