兵庫県立大学大学院教授 室﨑 益輝(第3145号・令和3年1月11日)
次から次へと大規模な災害が発生する「災害の時代」を迎えている。この災害の時代にあって、自治体の防災のあり方が厳しく問われる状況にある。住民の命と暮らしを守る責任、地域コミュニティの持続をはかる責任が、自治体に問われているといってもよい。その中で、町村レベルの小規模な自治体がどう災害に向き合うべきか、現代の災害の動向や小規模自治体の特質にふれつつ、そのあり方を明らかにしたい。
自治体の防災のあり方にふれる前に、「敵を知り己を知れば百戦危うからず」ということで、最近の災害とりわけ自然災害の動向についてふれておきたい。
災害は、被害発生の引き金となる現象が自然現象か人為現象かによって、自然災害と人為災害に大別される。この30年ほどの災害の動向をみると、人為災害は一部を除いて減少の傾向にあるが、自然災害は総じて増加の傾向にある。人為災害では、家庭内の事故や危険物施設の災害が増えている。災害といえるかどうかわからないが、企業の倒産や子どものいじめ、さらには自殺が増えてきている。
自然災害では、地震や豪雨はいうまでもなく、火山噴火や豪雪も増える傾向にある。地震では、阪神・淡路大震災や東日本大震災に代表される大規模な災害が発生している。鳥取県西部地震、中越地震、熊本地震なども発生している。地震学的に見て日本列島が活動期に入っているからである。この活動期は今後20~30年は続くとみられ、南海トラフ地震や首都直下地震のような大規模な地震の発生は避けられない。
豪雨や台風では、西日本豪雨や東日本台風に代表されるような大規模な災害が発生している。昨年は、熊本を中心に7月豪雨に見舞われている。気象学的に見て地球温暖化の影響を受けているからである。この温暖化の傾向はすぐには収まらず、記録的豪雨の更新は今世紀一杯続くものと考えられる。大雨や台風のシーズンには、毎月のように豪雨災害や土砂災害に見舞われることを覚悟しなければならない。
これらの自然災害に加えて、厄介なことに新型コロナウイルスに代表されるような感染症が襲い掛かってきている。災害の時代とともに感染症の時代だといえる。感染症の影響は長期かつ広域に及ぶので、教育や福祉あるいは経済など社会全般に深刻な打撃を与える。さらに、ボランティアの自粛に示されるように、地震や豪雨などの災害対応にも悪影響を与える。地震、豪雨、感染症が同時期に重複して起こると、大変なことになる。
それでは何故このように災害が激甚化しているのであろうか。それは「自然の激甚性」と「社会の脆弱性」さらには「対策の限界性」という3つの側面から、説明することができる。
自然の激甚性は、先に述べた地震の活動期や地球の温暖化に規定されている。過去の経験則を超えた想定外の、異常な自然現象が生起する時代を迎えているということである。マグニチュード9という超大規模な地震が発生するし、1日降水量1、000mmという超記録的な降雨も発生しかねない。過去の経験を踏まえたハザードマップの信頼性が揺らいでいる。ハザードマップに従って在宅避難していたところ、想定外の浸水で命を失ったという例も生まれており、要注意である。
社会の脆弱性にも目を向けなければならない。個人のレベル、家庭のレベル、コミュニティのレベル、行政のレベルで社会の脆弱化が進んでいる。個人のレベルでは、防災意識の未成熟が正常化への偏見を生むとともに自助努力の形骸化を生んでいる。家庭のレベルでは、一人暮らしの増加が家庭内の孤立無援を生んでいる。家庭内の転倒事故や溺死事故が増えているのは、一人暮らしの増加と密接に関係している。コミュニティのレベルでは、人口の減少や地域の結びつきの希薄化が地域力や互助力の低下を生んでいる。
行政のレベルでは、面積当たりあるいは人口当たりの職員数が減少していることが減災力や対応力の減退につながっている。この職員の減少は行政と住民の距離を遠ざけることにもなっている。この量の低下だけでなく質の低下もある。縦割りシステムが行き過ぎた結果、災害対応に欠かせない横のつながりが取れなくなっている。また、防災業務を外部の業者に丸投げする結果、自らで防災に取り組む力や姿勢が弱くなっている。
最後の対策の限界性は、財源の限界と科学の限界の両面から来ている。おカネも知恵もないので防災対策の実質的な強化がはかれないのである。地震火災の有効な対策として自主防災組織によるバケツリレーしかないというのは、その最たるものである。1961年の災害対策基本法の制定もあり、防災体制や防災施設が強化されて、ある程度までは災害の軽減化がはかられたが、自然の凶暴化に科学の進化が追いつかないために、激甚化に歯止めがかけられない。
災害対策基本法は、地域および住民の生命、身体、財産を守る責務を市町村に課している、消防組織法でも、その区域における消防を果たす責任を市町村に課している。こうした法律を引き合いに出すまでもなく、住民の最も身近にある基礎自治体が防災や減災の公的責任を果たさなければならないことは、自明のことである。
基礎自治体は、被災者の最も身近にある行政ということで、地域の実態にあった即地的な対応ができ、住民のニーズに細やかに応えることができ、タイムラインを守って迅速に対応することができ、被災者の苦しみや悲しみに寄り添うことができ、住民や地域の組織と心を一つにすることもできる。国や県ではできない身近な減災対応が基礎自治体にできる。防災は自治といわれる所以である。
ところで、災害の時代あるいは感染症の時代さらには複合災害の時代ということで、改めて自治の大切さを確認しなければならないことがある。1つは、多種多様な災害に備えるうえでは自治が大切だということである。災害の時代は、風邪や腹痛などの病魔が次々と襲ってくる状況に似ている。その場合、あらゆる病魔に対抗できるための公衆衛生や基礎体力が必要になる。災害対応において、この公衆衛生や基礎体力に匹敵するのが、自治であり地域連帯だといえる。自治力の高さが求められるということである。
もう1つは、広域の応援が得られない場合は自治が大切になるということである。今回のコロナ禍においては、感染防止のために県境を越えての広域応援を自粛することになり、外部からの支援が得られなくなった。被災地は仕方なく地域内からマンパワーをかき集めて、対処することになった。ここで改めて被災地内の助け合いや地域の減災力の大切さを認識することになった。応援を求める前に自律を求めなければならないのである。ところで、この支援が得られないのは、コロナ禍に限ったことではない。大災害が連続して発生しても、超広域の災害が発生しても起こりうる。
ところで、この自治体の役割にかかわって、自助、共助あるいは互助、公助の関係に言及しておきたい。ここでの自助は個人の役割、公助は行政の役割をいう。阪神・淡路大震災の救助活動の実績から、自助:共助:公助は「7:2:1」の関係にあるといわれているが、これは間違っている。阪神・淡路大震災の救助活動という行政がたまたま活躍できなかった特殊ケースを、行政の災害対応一般に普遍化してはいけないからである。
自助も公助も責任でどちらも大切なのである。自助と公助はフィフティフィフティで、どちらが重要かと優劣をつける問題ではない。個人は自助に努め、行政は公助に努めなければならない。少なくとも「公助が無力なので自助にお任せ」といった態度を自治体はとるべきではない。
さて、小規模自治体の特質にもふれて町村の役割や課題を考えてみよう。先に述べたように、基礎自治体が地域に向き合い住民と心をひとつにするには、次の3つのことが要件として求められる。それは第1に、地域のことを隅々まで理解しようとすること、第2に、住民との間の信頼関係を日ごろから築こうとすること、第3に、住民の側に顔を向け被災者の声を聴こうとすることである。空間的な密着性や人間的な紐帯性や社会的な包括性が求められるといってよい。
この3つの要件は、大規模な自治体よりも小規模な自治体の方に手厚く存在している。小規模ゆえに、全体像を把握しやすいし、住民との距離は近いし、意思決定が簡潔にできる。それゆえに、地域の資源を生かした対応ができる、被災者に寄り添った対応ができる、的確で迅速な対応ができる。ということで、質的な側面で高い対応力を期待することができる。その一方で、小規模ということで人材や財源が少なく、大掛かりな防災事業ができない、防災の専門性が薄くなるなど、量的な側面では高い対応力を期待することができない。
ところで、東日本大震災での緊急対応や復興対応をみると、優れた実績を上げているのは小規模な自治体に多く、矛盾や混乱を生んでいるのは広域合併した大規模な自治体に多い。小規模な自治体では、すぐに被災者のもとに飛んで行ける、被災者に細やかなサービスを提供できる、状況に即した弾力的な対応ができる、官民一体の地域ぐるみの対応ができることが確認できた。区域がコンパクトであると、どこに誰がどのような状態でいるかがすぐにわかるし、みんなの声を集めた創造的な合意形成も容易にできるからである。
小規模自治体としての町村は、防災の専門体制が弱いなりに行政組織挙げての横断的な対応ができる、財源や装備がないなりに地域の資源を生かす創造性が発揮できる、上部機関との距離が遠いなりに自力で立ち上がろうとする自律的な挑戦ができるのである。こうした小規模自治体の特質を生かした減災対応を、町村に期待したい。
最後に参考となる町村の災害対応事例をいくつか紹介しておきたい。優れた事例は、東日本大震災に限らない。それ以前の阪神・淡路大震災時の北淡町、中越地震の山古志村や平成21年台風9号の佐用町など、それ以降の紀伊半島豪雨災害の十津川村や熊本地震の南阿蘇村や西原村など、さらには未災地である高知県黒潮町などでも確認することができる。
その先進事例ではまず、地域が一体となる取組がある。復興計画のスローガンに「絆」や「全員参加」を挙げるものが多い。東日本大震災の田野畑村では「心ひとつに」、同じく新地町では「人の絆を育む」が掲げられている。佐用町では「絆から始まる復興」が、西原村では「全員参加の復興」が提起されている。その絆の具現化として、多様な階層が復興計画委員会や地区協議会などに参画して活発な議論が展開されている。
次に、地域の資源や特徴を生かした取組がある。十津川村では、地場の材木や業者を活用して仮設づくりや復興住宅の建設を進めているが、西原村でも「買取型」という方式で地元の業者の住宅再建への参画を促している。伝統様式を取り入れての復興住宅の建設もみられる。田野畑村では田の字型、十津川村では吉野建という様式が継承されている。
さらに、コミュニティの意思を尊重した取組がある。新地町では「オーダーメイド方式の復興」がはかられ、集落単位での仮設住宅づくりが進められている。その結果、希望者全員が希望する場所に入居できている。山古志村や南阿蘇村ではコミュニティが進める復興事業や交流事業に対する財政面からの支援が行われている。そのことにより、コミュニティの維持や発展がはかられている。
そのほか、女川町のようにみんなの知恵を集めた創造的な取組、田野畑村や西原村のように迅速な意思決定で復興を素早く成し遂げた取組、黒潮町のように全職員一丸となった取組もある。最後の黒潮町では、集落ごとの「地区防災計画」の取組が積極的に行われているが、200人の全職員が防災担当となって集落に張りついている。そのことにより、住民との距離も近くなっている。
先進事例をみると、単に小規模な自治体だから成功したということではなく、そこに首長の優れたリーダーシップが加わったがゆえに成功している。小規模自治体の特質を生かすことと、首長がリーダーシップを発揮することの2つが、町村の災害対応の必須の要件であることを、最後に確認しておきたい。
室﨑 益輝(むろさき よしてる)
兵庫県立大学大学院・減災復興政策研究科 研究科長・教授
1967年京都大学建築学科卒業。神戸大学教授、消防研究所理事長、関西学院大学教授などを経て、2017年より現職。日本火災学会会長、災害復興学会会長、地区防災計画学会会長、消防審議会会長、ひょうごボランタリープラザ所長、ひょうご震災記念21世紀研究機構副理事長などを歴任。建築学会論文賞、火災学会賞、防災功労者総理大臣表彰、神戸新聞平和賞、NHK放送文化賞などを受賞。著書に、ビル火災、地域計画と防火、地震列島・日本の教訓など。