民俗研究家 結城 登美雄(第3135号・令和2年10月5日)
新型コロナウイルスの感染拡大で現地調査がはばかられる事態が1年近く続いていたが、ようやく先月、久し振りに東日本大震災の被災漁業集落を訪ねることができた。季節が秋彼岸のせいだろうか、人の姿はいつもより多く、みな先祖が眠る墓に花を供え、深々と頭を下げ一心に祈っている。その姿を見て、改めて海辺は祈りの空間であることを再認識した。
どの浜を訪ねても七福神をはじめとするさまざまな神社があり、いずこにもしめ縄やお神酒が奉納され、その近くには「海難供養塔」や「津波溺死者供養塔」など犠牲者を悼むさまざまな石碑が建っている。“板子一枚下は地獄”の通り、漁は命がけの仕事。どの家も不慮の死の悲しみを背負って浜で生きてきたのである。
海辺の石碑でもうひとつ気になるものがある。「魚介類供養塔」である。魚を獲るとは生き物を殺すことでもある。「ごめんよ、魚たち。人間はお前たちを食べねば生きていけないのだ。許してくれ!」。漁師は大漁をただ喜んでいるのではない。大漁とは多くの命の喪失でもある。それを思い詫びるために海辺の人々は「魚介類供養塔」を建て、日々手を合わせているのである。東北各地には飢饉で職が手に入らず、いよいよ死ぬしかないと覚悟を決めた時、母川に戻ってきた鮭に命を救われたという伝承をもつ集落が多い。さらに「鮭を千本殺したら人間を1人殺したと同じだと思え!」という伝承もあって、「鮭の千本供養塔」という卒塔婆も各地に立っている。人々は漁獲高だけをめざして漁をしない。命と向き合って生きているのである。
訪ねるたびに新しい発見がある各地の浜辺。浜は生きた学びの場である。私たちの生存と生活の基盤は自然の上にある。自然と人間のありようを考えるために、浜や海はこれからの日本人にとって大切な学校であり、生きたテキストでもある。コロナ後を生きるためにも、そのありようを本格的に考えることが求められているのではないか。