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コロナ禍の日々の便り

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年7月27日

ジャーナリスト 松本 克夫(第3127号 令和2年7月27日)

筆者が編集のお手伝いをしている地域づくり情報誌『かがり火』に、読者から、コロナ禍の日々の思いを綴ったたくさんの便り(寄稿)が届いた。岩手県葛巻町で「森のそば屋」を営むKさんからは、「三密に無縁の野良よ山笑ふ」という句をいただいた。家の前の道は、「一日の通行量は車3~4台、通行人2~3人といったところ」で密になりようがないという。東京との落差は大きい。

長野県泰阜村のMさんによると、同村が属する下伊那郡は1人も感染者はいなかったし、「広大な地域で、しかも人口密度も低い」のに、全国一斉の学校休校の対象になった。Mさんは、泰阜村は「学校も少人数で休校する理由が分からない。村立学校の休校判断は、村にあるべき」と思った。泰阜村はかつて国策に従って「満州移民」を送り出し、敗戦による逃避行で680人余の犠牲者を出した歴史がある。Mさんは、この歴史から学んだ「国策は国民を幸せにするとは限らない」という教訓がコロナ禍でよみがえったという。

高知県黒潮町の漁師のYさんは、世界の三大漁場といわれた三陸沖では、プランクトンや小魚がいなくなり、サンマやカツオの盛漁期もなくなったと記す。漁師の眼には、「日本近海には天然の魚が生きる海がなくなった」と映る。Yさんは、コロナ禍は「生き物を抹殺してきた人間へのウイルスによる叛乱であるとともに警鐘」と受けとめている。

岡山県吉備中央町のOさんは、地盤が安定し、風水害も少なく、日本でも最も安全な町といわれる利点を生かし、同町への首都移転を進めようという動きが盛り上がっていると伝えてきた。首都移転は、コロナ禍に便乗した奇抜な思い付きではなく、「日本の首都にふさわしい町づくりを行うための山の上の旗であり、地域の活性化の手段なのである」。

コロナ禍の受けとめ方は地域や人によりさまざまだが、この体験を言葉にしたい思いに駆られた人は多い。そこから何が生まれるか。