民俗研究家 結城 登美雄(第3106号・令和2年1月20日)
昨年11月中旬、日本海沿岸北部の町村をたずね歩いてみた。北風吹きすさぶ中、人々は長く厳しい冬をむかえるための準備に勤しんでいた。その姿に現代の私たちが忘れてしまった大切なものを感じさせられた。
例えば新潟県村上市山北地区の大川の河口では鮭のコド漁をする人が何人もいた。コド漁とは、産卵に戻ってきた鮭が休む箱形の装置を川端に作り、ここに入った鮭を鉤で引っかけて獲る古式の漁法である。一網打尽の世に、なお鮭との古式の付き合い方を変えない人々。古式の漁法に固執しているのではない。鮭は冬の食生活を支える大切な食料。売って儲けるという考えをしないのである。鮭はかつて神の魚といわれた。飢饉の時、律儀に母川に戻ってくる鮭に何度その命を救われたことか。その記憶を忘れないのである。山北地区には7ヵ所に今でも鮭の千本供養塔が立っている。そして浜人の心には鮭を千本獲ることは、人間一人殺したことと同じだという言い伝えが今も生きている。
山北地区の人々の古式にこだわる思いは鮭漁にとどまらない。日本でも数ヵ所しかなくなった焼畑農業が今も生きている。集落の人々が夏に共同で山を焼き、初冬に収穫する赤カブ。その漬物は長き冬の保存食の中心である。食料だけではない。家々の軒下に積まれた薪は山の手入れの成果物。「電気もガスも灯油も使うが、薪の火のあるところは心がなごむ」と家族と近隣の人とのコミュニティの火の良さを絶賛する。かつて宮本常一は下北半島の人々の暮らしぶりをみてこう言った。「古きものと新しきものの混在は、決して論理の矛盾を示すものではない。長い間厳しい自然と闘ってきた農民たちの用心深い英知によるものだ」。地震、津波、洪水などすさまじい自然災害にどう対応していくかが問われている現在、新しいものだけに依存しない暮らし方を、厳しい自然と闘ってきた農山漁村の人々の声に耳を傾けて聞く必要がある。