ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > コラム・論説 > フルセット主義からの脱却?

フルセット主義からの脱却?

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年10月14日

東京大学名誉教授 大森 彌(第3097号 令和元年10月14日)

一般に、フルセット主義とは、市町村が、教育、福祉、文化など公共サービス提供のための施設等をすべて自らが整備し運営していこうとする考え方のことである。あるいは、もう少し広げれば、人口や面積に関係なく個々の市町村がすべての分野の施策を手掛けようとすることであるといえよう。

市町村は、自治権の及ぶ一定の区域をもつことによって、その区域内の地域社会を充実させよう、そのための施策をできるだけ自前で展開しようと努力する。それは自助・自立精神の発揮である。ただし、他の自治体には負けまいとし、身の丈に合わない、あるいは地域社会のニーズにそぐわない施設建設やサービスを行おうとするのは考えものであり、いまや、その心配はほぼなくなっている。

また、市町村の区域は固定しているが住民は区域を超えて行き来するから、区域内ですべてのサービスを完結させようとするのはもともと無理であり、無理すれば運営難に陥る。だから、市町村は、一部事務組合など他自治体との連携事業を行っている。これも当たり前のことである。

ところが、第32次地方制度調査会の諮問に強く影響を及ぼした総務省研究会の「2040構想」は、来るべき2040年頃に予測される「内政上の危機」に対処するため「個々の市町村が行政のフルセット主義を排し、圏域単位で、あるいは圏域を越えた都市・地方の自治体間で、有機的に連携することで都市機能等を維持確保する」必要があるという。

国は、「平成の合併」の強力推進の時はフルセットで行政サービスを提供できる「基礎自治体=総合行政主体」の整備が必要だとしていたではないか。更なる合併推進が無理になると、今度はフルセット主義から脱却し、中心市を核とした「圏域」を設定して、都市機能等を維持確保せよという。これは、住民自治の及ばない「圏域」に場所を変えたフルセット主義の推進ではないか。どう見ても、ご都合主義に映る。「圏域」に組み込まれる市町村は、自治権の一部の放棄を余儀なくされるだろう。

すべての市町村が、地域の実情に応じた施策を展開しようとし、一定の行政水準を維持しうるよう財源の保障をしている地方交付税制度が機能している限り、市町村にかかわる自治制度にむやみに手を加える必要はないのではないか。本当の危機は地方交付税に忍び寄っているのではないか。標準化と効率化の観点から市町村にかかわる自治制度に手を加えようとすれば、市町村自治の縮減によって、かえって市町村のやる気をそぐことになりはしないか。