特定非営利活動法人ECOPLUS代表理事 早稲田大学文学学術院教授、立教大学客員教授
髙野 孝子(第3071号・平成31年2月25日)
雪が降っている。外に出て空を見上げると、大小様々な雪の破片が、結構なスピードで次々と顔の上に落ちてくる。
どんどん降り積もって、目の前に広がるいくつもの田んぼは全て雪の下だ。その向こうの道路だけは除雪され、視界の悪い中を時折、車が走っていく。
私が生まれ、今も暮らす新潟県南魚沼市は豪雪地帯として知られる。近年、雪の質も量も変わってきたが、積雪は平地で2メートル、山手の集落では4メートルとなる。
幼い頃は町中がそっくり雪に埋もれた。子どもたちが学校に通えるよう、大人たちは交代で朝から「雪踏み」をして道をつけた。家の玄関を開けると雪の階段があり、登って道に出たのを覚えている。雪道を歩くと、電柱のてっぺんがすぐ目の前だった。
大人たちは雪と暮らす大変さを嘆き、「克雪」「雪害」などという言葉を使う。確かに雪に関連する事故も多い。けれども雪があるからこそ豊富な水があり、稲作ができ、酒も作れる。50年ほど前から始まったスキー産業のおかげで、出稼ぎはなくなり、観光産業を育てることになった。
近代以前、この地での冬の暮らしは今とは比較できないほど大変だっただろう。しかし1000年以上も前からこの地で生を受け渡してきた先人たちは、雪とともに生きる知恵と術を持っていた。だからこそ、今、私の命もある。大変なのは雪だけではなかったはずで、すべて受け入れてしまえば、雪は恵みでもあっただろう。
私が雪が好きな理由の一つは、雪が全てを覆ってしまった時、そこに原生自然が現れるからだ。雪原の下には、人間が好きなように開発したあらゆるものと営みの痕跡がある。けれども雪に覆われてしまえば、それらは視界から消え、代わりに自分が世に生を受けるよりはるか昔からの人々の営みの記憶が、想像の力を借りて浮かび上がる。自然を思い通りにできないことや、本当に必要なものについて、改めて思いを馳せることができる。
音が吸収されていく独特な空気感の中、ひそやかで確かな生き物の気配を感じながら雪原を進んでいけば、シンプルに、ただ今ここに、生きることに集中できる。すべてとつながり、すべてに包まれているような感覚は、私には歓びだ。
持続可能な社会とはどんな状態だろう。
人間が生きていく上で必要な空気も水もエネルギーも、限りがある存在だ。それらを取り出し、利用し、かつ循環できる社会のことであろうか。
その意味では、農山漁村の優位性は様々に唱えられてきたし、自明でもある。
湧き水がある場所、山菜や木の実や貝や魚が取れる山海、田畑で食料が生産されているところ、燃料となる木が手に入るところであれば、人間は命を保つことができる。このことは極めて重要なことであり、農山漁村の価値と多様な可能性の基盤でもある。
つい最近、山形県出身の早稲田大学学生が、本人の1週間の自炊メニューにおいて「サステナビリティ」を意識した目標を立てた。それは利用する具材において、 できる限り東京産を使う、 関東産を70%以上使う、 残りも国産を使う、ことだった。その結果、7日間で使用した55種類の食材で、東京産は3種類のみ。それも唐辛子や辛味大根のブランド商品で、銀座三越の地下の食材売り場で思い切って購入したという。茨城県や千葉県を含む関東産でも20種類だった。これは全体の36%で、努力したにも関わらず、目標だった70%の半分以下だ。学生なりに安くあげようとしたら、さらに割合は下がるだろうという。
2011年の東日本大震災の際、関東周辺でも道路が塞がれ、物流が滞った。わずか数時間のうちに、東京では多くのコンビニやスーパーの棚から食料や飲み物が消え、しばらく入荷がなかった。都市部の脆弱性が露呈した。都市に暮らす人たちの命を支えているのは、都市以外にある農山漁村だ。
けれどもそのかけがえのない、命と暮らしの基盤を持つ農山漁村に、人々が移り住むべく殺到しないのはなぜか。
人が生きていくとはどういうことかという問いがそこにあると思う。まさにその解を掘り下げていくところに、農山漁村の価値があるように私は思う。
人も社会も持続していくためには、水と食べものとエネルギー以外に大切なものがある。
これまで私は地球上のあちこちで、自然の中で旅をしたり、自然に近い暮らしをしている人たちと関わってきた。その中で経験したのは、人にとって大きな危険は、食料がないとか燃料が尽きたとか、天気が荒れているというようなことよりも、「希望」を失うことだった。「もうダメかもしれない」と思うその心の隙間から、一気に生存の可能性が危うくなる。同時に「美」や「歓び(喜び、悦び)」は内的な大きな力につながることにも気づいた。美しい光景や生命力溢れる環境に身を置く歓びは、希望ともなって人を強くしたり、幸福をもたらしたりする。また、様々な危険に対する最大の防御は、武器を持つことではなく、他の人たちと信頼でつながること、すなわち確かなコミュニティを築くことだとも教えてもらった。
持続可能な社会については、国際的な規模でずいぶん前から議論されている。特に光があたった1972年の国連人間環境会議からすでに47年。同じ年に、ローマクラブによる「成長の限界」が発表されている。システム分析を駆使して地球の有限性を示し、成長の限界と人類の危機を唱えた。
反論も含めて影響は大きく、ここから持続可能な社会を求めて、各国には様々な機関が設立され、現在に至るまで、国際的な条約も次々と締結されていく。しかしながら、大量消費生産モデルの社会は変わらない。誰もが消費したく、「富」と消費が幸せの尺度であるかのようにそれを追い求める。ピークオイルが過ぎたとされ、鉱物資源の枯渇が目前と示されながらも、「技術革新が状況を打開する」と半ば祈りのように信じようとしている。ITの浸透は、国を超えるグローバル経済システムをもたらし、世界中で特定の規格が広がり、それを広げた一握りの人たちが極端に利益を得る。結果として、国家間、そして国内での格差は広がり続け、社会不安の要因となっている。近年のアメリカやヨーロッパの政治情勢に見られるのは、この影響でもあろう。
2018年6月発表のOECDペーパーによれば、日本を含むOECD28か国において、わずか1割の世帯が全体の52%の富を所有し、6割の世帯がわずか12%の富を所有するという。また25%の世帯で収入が減っている(https://doi.org/10.1787/7e1bf673-en)。
2015年のデータでは日本の相対的貧困率(等価可処分所得が貧困ライン以下の世帯に属する国民の比率)は16.1%で、先進国の中でアメリカに次いで二番目に高い(https://www.globalnote.jp/post-10510.html)。所得の不均衡を示すジニ指数も、0.34で、OECD38か国の中で格差が大きい方からスペインとともに12番目だ(https://data.oecd.org/inequality/income-inequality.htm)。日本は所得格差が大きく、かつ6人に一人が相対的貧困レベルで暮らしている国であることを、この数字が示している。
これが、ここまでずっと成長を追い求め、消費を促し、それが豊かさだと唱えてきた日本の現状だ。ここからどこに行こうというのか。本当に持続可能な社会が射程にあるのであれば、これまでの思考や発想を、修正などではなく、そっくり違うレベルに変えなくてはならないことは明らかだ。
日本での暮らしにおいて、グローバリゼーションの恩恵はたくさんある。けれども伴ってもたらされた負の側面も多い。大地に働きかける生産の場から離れ、自然が命を支えている実感もないまま、消費者としてのみ暮らしていて、金がなければ水さえ飲めない。健康を保つ食も手をかけずに簡単に済ませてしまう。そんな中では積極的に生きている実感を持つことができないし、何が自分にとって大切なのかもその消費世界の中でしか捉えられない。
この約50年、持続可能な社会を目指すとしながら、世界は、そして日本も、持続可能な社会とは逆方向に進んできたようだ。その間に、数多くの論客たちが「パラダイムシフト」を呼びかけてきた。根本的な考え方を変えない限り、持続可能な社会には近づけない、と。
これまで、消費という豊かさを求める勢力と、その限界を主張する勢力は、同じ空間にありながら互いに直接対話せず、別々に歩んできた。日本でもこの二種の言説が同時に存在するが、主流はグローバルマネーと経済成長を求める勢力だ。「持続可能な社会」を掲げ、国際社会の取り決めにお付き合いしつつも、あくまで経済成長を阻害しないことが優先であるため、日本政府の施策は今に至るまで、矛盾していたり場当たり的なものが見受けられる。
一般的に人々は、聞きたいことしか聞かない。信じたいことしか信じない。SNSが発達した今日は、さらにその傾向が強い。「環境」や「エコロジー」という言葉は、「意識高い系」を揶揄する多くの若い人たちには届かない。
けれども最近、潮目が変わってきたように私は感じている。
それは、ここまで地球環境が追い詰められ、それが実感できるようになってきたことや、格差の歪みに苦しむ人たちが見過ごせない数となると同時に、格差に気づいた人たちが増えてきたことも背景にあるだろう。また性のダイバーシティや海外からの旅行者や留学生の増加、若者の貧困や非正規雇用、難民や外国人労働者の議論、AIの進出など、世の中の規範が変化してきていることも影響しているように思う。
ワークライフバランスの議論や、閉塞感や生きづらさについての言及など、これまでとは異なる価値に基づいた声が多く聞かれる。
物も情報も溢れ、「消費の豊かさ」に疲れを感じる人たちも多い。自分がどう生きるかを模索しながら、豊かさや幸せを再考する若い人たちが現れている。
農山漁村には、新しい文脈での豊かさと自由をめぐる問いへの解がある。(続く)
髙野 孝子(たかの たかこ)
エジンバラ大学Ph.D(野外・環境教育)、ケンブリッジ大学M.Phil(環境と開発)、早稲田大学政治学修士。サステナビリティ、野外・環境教育、地域社会学、分野横断的な環境学を専門とする。
新潟県在住。ジャパンタイムズ報道部記者を経てフリーランスに。90年代初めから「人と自然と異文化」をテーマに、犬ぞりとカヌーによる北極海横断やミクロネシアの孤島での自らの活動を環境教育の素材とするプログラムを地球規模で展開。「地域に根ざした教育」の重要性と「農山村は学びの宝庫」を訴え、07年より新潟県で「TAPPO南魚沼やまとくらしの学校」事業を開始。2010年7月公開の龍村仁監督「地球交響曲第7番」に、アンドルー・ワイル博士らとともに出演。社会貢献活動に献身する女性7名に向けた「オメガアワード2002」受賞(緒方貞子、吉永小百合、中村桂子などと共に)。2016年春期早稲田大学ティーチングアワード受賞、2017年ジャパンアウトドアリーダーズアワード(JOLA)特別賞。著書に「野外で変わる子どもたち」(情報センター出版局)、「PBE地域に根ざした教育:持続可能な社会づくりへの試み」(海象社)ほか多数。
日本学術会議KLaSiCa小委員会委員、新潟県環境審議会委員、千代田区地球温暖化対策推進懇談会委員、日本キャンプ協会理事、日本環境教育フォーラム理事、財団法人日本アウトワード・バウンド協会評議員、日本自然保護協会参与など。