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農山村たたみ論

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年6月19日

明治大学農学部教授 小田切 徳美(第3243号 令和5年6月19日)

最近、政府系の会議で、「農山村集落の全部は守れない。選択と集中が必要だ」という発言に出会う頻度が高まっている。それは、あたかも「店をたたむ」ように、一部の「集落を閉じろ」という議論であることから、筆者は「農山村(集落)たたみ論」と呼ぶ。

同種の議論は、過疎化が進み始めた高度成長期以来、なんども登場し、今に至っている。今回は、政府が取り組む「異次元の少子化対策」の際に言われる、「人口減少は『静かな有事』」という議論が引き金になり、特に人口減が著しい農山村集落のあり方として論じられているのであろう。

しかし、この約10年間は、かつては見られなかった若者を中心とした田園回帰や関係人口の地域貢献という現象が顕在化している。また、デジタル技術による、遠隔地医療や遠隔地教育、そして自動運転などは、農山村の弱点であった、「遠隔地性」がもたらす問題を緩和する可能性があり、今後は異なる局面が生まれようとしている。

そんな時に、同じように繰り返される議論には、時代状況とのちぐはぐ感を覚えざるを得ない。それに加えて、時代を超えて、このような議論には、より大きな問題点がある。これらの議論が、最終的には財政問題を論拠としていることである。平たく言えば「財政が厳しい時に、そんなところに住むのは負担が大きく、社会に迷惑だから降りてきなさい」ということであり、それは人々の居住範囲を財政の関数として捉える発想と言える。関数であれば、一旦適用されれば自動的に計算が進み、そこに歯止めはない。例えば、比較的大きな市の中心部の目線で、周辺部から撤退し、そこへの居住誘導という議論を展開しても、当の中心部さえも、撤退論の対象になる可能性があることを自覚するべきであろう。

こうした中で、求められているのは、元々人口密度が低い農山村で、より低密度での持続的な暮らしを実現する「持続的低密度居住」の政策構想と実践の積み重ねである。田園回帰や関係人口の動きもこの中で位置づけることができる。

先に「歯止めがない」としたが、実際に、一部の議論には、農山村のみならず、地方中枢都市を除く地方部からの撤退が意識され始めている気配がある。そのため、地方サイドから、国土における「持続的低密度居住」のあり方を、積極的に語ることが必要であろう。それがなければ、いつのまにか「農山村たたみ論」が国政の基調となってしまう可能性さえあろう。