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蔵に学ぶ、世代を超える志・技・共

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年5月22日

一般社団法人 持続可能な地域社会総合研究所 所長 藤山 浩(第3240号 令和5年5月22日)

蔵というものが作られなくなってどれほど経つでしょうか。

私は、今、明治時代に建てられた土蔵を3年がかりで移築しているところです。改めて、そこに込められた志・技・共のあり方を学んでいます。日清戦争が始まった1894年(明治27年)に、当時の生糸景気を背景に建てられたその蔵は、しっかりした石垣の土台、地元の栗と松を組み合わせた骨組み、そして30センチ以上の厚みがある土壁を備えています。

何よりもまず、孫子の代まで揺るぎない建物を作ろうという志の高さに心を打たれます。次に、その志に応えて、丹念に組み上げた職人の方々の技に頭が下がります。そして、おそらく隣近所の人々も、手間替えの共同作業として力を貸したことでしょう。

今、蔵を新たに作ろうとすると、現代風建築の3倍以上の費用や時間、労力が掛かるのではないでしょうか。それは、「今だけ、自分だけ、お金だけ」の新自由主義が横行する今の日本では選択外となり、建築物は平均して30年くらいで取り壊されています。しかし、より長い世代を超えていく目で見るならば、本格的な蔵は数百年単位、10倍長持ちするわけですから、実は経済的にも環境的にも望ましい選択なのです。

私たちは、これから必ず循環型社会へと到達しなければなりません。今までのように、家も施設も、人の一生にも及ばない年月で使い捨てていくやり方は、もう限界です。原風景を次々と壊し、ただ消費と廃棄を繰り返す暮らしには、深い安らぎは宿らないのではないでしょうか。地域づくりにおいて、世代を超える志・技・共のあり方を紡ぐことは、根幹の課題です。

かつては、「家」制度が、世代を超える価値観の背骨となっていました。今からは、一軒一軒の家が、現在の仲間と未来の世代にとってローカルコモンズとなるような発想と制度設計が必要となるでしょう。私は、「地元から世界を創り直す」時代を唱えています。循環型社会の原点として、一軒一軒の家から再構築が求められています。蔵に学ぶ時代です。