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全国に誇る茶の湯釜の名器「芦屋釜」の復興

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年2月21日更新

福岡県芦屋町長 顔写真福岡県芦屋町長 波多野 茂丸

天皇陛下のご退位の日が決まり、平成の世は後いくばくかになりました。私は昭和24年に生まれた団塊世代のひとりで、昭和の高度経済成長期に青春を謳歌し、平成7年から町議会議員を3期、平成19年から町長として地域の行政に直接携わり、現在に至っています。私の家は、代々この地域の祭祀を司る神主をしています。この関係で私は、福岡県立宗像高等学校を卒業したあと、神職の資格取得のために國學院大學に入学しました。現在は、神主として地域の安寧を祈りつつ、町長としては住民の皆さまのための政策を進めています。このような関係もあり、天皇陛下のご退位はとても感慨深いものがあります。

さて、芦屋町は九州北部に位置し、総面積11.6平方キロメートルで人口約1万4千人の小さな町です。町の中央を一級河川である遠賀川が縦断し、その川が日本海の響灘へ注ぐ河口の町です。白砂青松、奇岩景勝の海岸線が広がる風光明媚な町としても知られています。海水浴、レジャープール、花火大会、あしや砂像展等、様々な催しに年間を通して多くの人達が町を訪れます。新鮮な魚介類を楽しめるのも魅力の一つです。

芦屋町には歴史的・文化的に、全国に誇れるものがあります。それは茶の湯釜の名器「芦屋釜」です。芦屋釜は室町時代を中心に製作されましたが、胴部に美しい文様が表され、薄く軽いことが特徴で、鉄の鋳物でできています。芦屋釜の製作は江戸時代初期頃に途絶えますが、その芸術性や技術力は高く評価され、茶の湯釜の国指定重要文化財9点のうち、実に8点が芦屋釜で占められています。

芦屋釜の製作が途絶えておよそ400年。芦屋町では、平成元年のふるさと創生事業を契機として芦屋釜の復興を決意し、平成7年に「芦屋釜の里」を開設しました。芦屋釜の里には資料館や茶室とともに復興工房を併設し、芦屋釜の研究と製作を重ねながら、鋳物師の養成に取り組んでいます。養成期間は16年で、その間は町任期付職員として雇用しています。行政が直接職人を雇用し、一旦途絶えた工芸品を復興するという、全国でも類を見ない取組です。また、芦屋釜の復興を茶道界にも知って頂くため、平成25年には裏千家、平成27年には表千家にも現代の芦屋釜を納めました。釜をお納めする際、両千家を訪問しましたが、茶道の長く深い歴史の重みを感じることができ、私にとって忘れがたい機会となりました。芦屋釜復興事業は、現在、芦屋町における地方創生の核の一つに位置づけられています。「ふるさと創生」から「地方創生」へ。芦屋町では、その一筋の道が繋がっています。

また、芦屋町の特徴としては、航空自衛隊芦屋基地が所在することと、モーターボート競走事業を単独施行して、町の財政に寄与すべく事業展開を行っていることです。

航空自衛隊芦屋基地とは、共存共栄を旨として良好な関係にあります。年に一度開催される航空祭は、町内外からの多くの人でにぎわいます。

モーターボート競走事業は、平成の初期段階までは順調な動向でしたが、平成10年頃から景気が悪くなるにつけ、収益を上げられない苦しい時代が続きました。このような状況の中、私が町長に就任して一つの転機をむかえます。それまで芦屋町と2つの近隣町の、つまり3か町で施行していたものを芦屋町単独に改め、地方公営企業法の全部適用にして組織体制を自主自立で行えるようにしたこと、そして通常のレース開催時間よりも早いモーニングレースを導入したことです。これらの取組が今の芦屋競艇場の好調な運営に繋がっています。

最後に、私は町長に初当選して以来、『「町民力」「地域力」「職員力」で地域おこし』をモットーに掲げ、まちづくりに取り組んできました。これからもその初心を忘れずに、地域住民の皆さまとともに、芦屋町のスローガンである「魅力を活かし みんなでつくる 元気なあしや」を目指していきたいと思います。