宮崎県五ヶ瀬町長 原田 俊平
「合気とは天地の心を以って我が心とし、万有愛護の大精神を以って自己の使命を完遂することである」
自分の記憶に残る大学時代からの言葉です。
この言葉は私が大学時代に4年間続けることができた「気」をもって相手の力を「制する」、いわば「受け」の武術である合気道の創始者植芝盛平侯が悟った言葉だと当時聞いていました。
さて、私が住む五ヶ瀬町は、九州のほぼ中央、宮崎県の北西部にあり、人口3,800人の典型的な中山間地域の町です。熊本県境に位置し、南西部から南東部にかけては標高1,200mから1,600mの山々が連なる一方で、北西部は阿蘇の山々を展望できるなだらかな丘陵地帯が広がっています。
今から約4億3千年前、九州島は海の底にありました。地殻変動により地層の一部が押し上げられ、やがて海上にその姿を現しました。そして、最初に姿を見せたのが五ヶ瀬町の中央に位置する祇園山であるとされており、この山系からはシルリア紀(約4億年前)のサンゴやカイ類の化石が発掘されています。そのことが、五ヶ瀬町が九州島発祥の地といわれる所以となっています。
私は、この五ヶ瀬町に昭和29年5月に生まれ、地元の小・中学校を卒業し、高校からは家を離れ、延岡市の高校に進学しました。高校卒業後は東京の大学に進学し、卒業後は縁あって宮崎市で就職することになり、帰町するまでの24年間、筑波での研修や東京にある団体への出向等、五ヶ瀬町の外で様々な経験をさせていただきました。
そして、これも故郷との縁があって、39歳の時に宮崎市の職場を退職し、五ヶ瀬町役場で働くことになりました。当時は既に結婚もし、子ども達も小学生で、将来への仕事への意欲も高くなっていた時期でもあり、相当悩んだ末の決断でしたが、今となっては私の気持ちを理解してくれた妻に感謝すると共に懐かしい思い出となっています。
それから、ふるさと五ヶ瀬町に帰ったからには、全力でふるさとのためにと自分の想いを貫き、役場の課長職を経たのち副町長に就任し、2期目の途中で前任の町長の退任に伴い、町長選挙に立候補させていただき、当選後現在に至っています。少子高齢化が進む中での非常に厳しい行政運営を強いられていますが「全ては五ヶ瀬の未来のために」という気持ちを持って、自己の使命を完遂すべく努力をする毎日です。
「ふるさとを想う気持ち」と言えば、先般、五ヶ瀬町出身で現在徳島県東みよし町在住の佐伯勝元さんを訪問する機会がありました。
この佐伯勝元さんは地元の小学校を卒業され、21歳で北九州市の炭鉱会社で技術者として働かれ、昭和33年に渡欧。働きながら大学でドイツ語を身につけ、12年間ヨーロッパで生活されました。帰国後は東京の法律特許事務所でドイツ語の翻訳の仕事に従事され、60歳で定年退職の後、現在は徳島県で生活されています。
佐伯勝元さんがこれまでの人生の88年間で苦労しながら蓄えられた私財を故郷のために、提供いただきました。日頃は決して贅沢な生活をされている訳ではございません。私自身、幾度となくお会いして、佐伯さんの「ふるさとを想う気持ち」を痛いほど感じさせられました。
佐伯勝元さんの「町の子どもたちが立派に育ち、ふるさとのことを忘れず、社会のために役立つ大人に育って欲しい」という願いを軸に、「佐伯勝元教育基金~翼~」を設置し、児童生徒海外派遣事業・芸術文化体験事業・奨学金事業など様々な事業を実践しています。
私自身、佐伯さんの行動の真似は、到底できませんが、「ふるさとを想う気持ち」を常に持ち続け、「夢と希望に満ちた活力ある五ヶ瀬の創造」を目指して努力していこうと考えています。