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極真空手に魅せられて

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年7月31日

愛媛県町村会長・愛南町長 清水 雅文

 

私が、国際空手道連盟極真会館の大山倍達館長と初めて会ったのは約40年前の館長が当時54歳か55歳の時だったと思う。

「押忍!愛媛支部の清水です。」と挨拶した時、何とも言えないオーラというか、カリスマ性を感じたのを覚えている。

「この方が地上最強と言われた牛殺しの大山倍達館長か。」と感激したものである。

握手してもらった時の手の温もり、そして肩幅と胸板の厚さを今でもよく覚えている。鋭い眼光の中にも強さイコール優しさというか、温かい眼差しであったのが強く印象に残っている。

極真空手といえば、当時から男なら誰でも憧れる存在であり、女性が美しくありたいと思うのと同じで、男なら誰でも強くなりたいと思うのが本能だと思うし、憧れであった極真空手に出会えたことに大きな喜びを感じている。

やがて開催50回を迎える極真会館主催の全日本オープントーナメント選手権大会は、フルコンタクトと言って、直接打撃制つまり素手で殴り合い、KOで勝敗を決定するもので、反則は「顔面への正挙・肘打ち・貫手」「頭突き」「金的」攻撃のみで、そのほかはどこを殴っても、蹴っても良い。まさに喧嘩そのものである。自分も極真会館に憧れて空手を始めたとはいえ、まさか全日本選手権に出場するとは思っていなかった。

毎年、全国各地から出場する128名の選手間で闘い、初めて出場した昭和55年の第12回大会は、内弟子の竹山晴友選手に判定で敗れた。彼の印象は、前へ前へと向かう圧力と無尽蔵なスタミナが凄いのと、何よりこれが本部極真の教育なのかと感心するほど礼儀正しい好青年であった。

彼は第12回、第13回大会と連続して7位入賞を果たし、いずれ優勝するだろうと言われていたが、数年後に極真会館を離れ、後にキックボクシングのチャンピオンになっている。成るべくして成った選手である。

第13回大会に出場した時は、スーダン(アフリカ)の選手ハシム・モハメッド選手と対戦し、 201㎝、103㎏の大男から繰り出される左上段回し蹴りを受けてKO負けとなったが、当時、竹山選手、ハシム選手とも、いつも本部道場でバリバリ稽古していて、負けたとはいえ、売出し中の選手に負けたことがせめてもの救いかなと思っている。

大山館長の講演の中で、我々門下生に対しいつも必ず「君たち、親のすねはかじれるうちは思いっきりかじりなさい。その代わり、君たちが一人前になった暁には受けた恩を何十倍にもしてお返しするんだよ。親孝行のできない者は、何をやっても成功することはないからね。」と言われていた。一般的に親のすねをかじるということは「親のすねばかりをかじって!」とか「親のすねかじりが!」というように、親が子を叱り戒める時に使う言葉だが、当時の館長の年に近づいた時、その言葉の意味を重く受け止めたことを覚えている。

ところで、近年、少子高齢化が急激に進んでいく中、学校のいじめによる生徒の自殺報道が後を絶たない。

最近では、約1年半前の某市で「いじめられたくない」と日記に残して命を絶った生徒をめぐり、当初「重大事態に該当しない。」としていた教育委員会が、議決を撤回し「自死が重大事態だった。」と撤回理由を説明し、遺族に対し配慮に欠けた判断だったと謝罪したとあった。

「自死が重大事態」であることは当然であり、今回のことだけではなく、こういった対応には今更といった憤りを感じる。

先般も福島原発事故により、避難した先で5年以上にわたっていじめにあい、金品を150万円も巻き上げられたり、「菌」呼ばわりされていたりという、いじめの内容が明らかにされたことがあったが、この少年は「死のうと思ったが震災で多くの人が亡くなった。だから僕は生きようと思った。」と綴っていた。何と健気でいとおしいことか、強く生きていって欲しい。

このように報道されるものばかりでなく、報道されないことも数多くあると思われ、これらは氷山の一角でいじめは一向に後を絶たないのではないかと考える。

一部の報道ではあろうことに教員まで一緒になっていじめていたり、見て見ぬふりをしていたりなど、情けないものもある。

自分がしたことや言ったことの責任がとれないようでは、社会からの信頼を得ることはできない。

「義を見てせざるは勇なきなり」と言うが「惻隠の情」はないのだろうか。

「正義なき力は無能なり。力なき正義も無能なり。」押忍!