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島に育ち、島に生き未来につなぐ三宅島

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年6月19日

島に育ち、島に生き 未来につなぐ三宅島

東京都三宅村長 櫻田 昭正

私の住む三宅島は、東京から約180㎞南の太平洋上に浮かぶ火山島です。伊豆諸島のちょうど中間に位置することから、晴れた日には同諸島のほぼすべての島を一望することが可能です。島の中心にそびえる雄山(おやま)の周りに5つの集落が形成され、合併を重ねながら昭和31年に一島一村となる現在の三宅村が誕生しました。

三宅島には罪人の流刑地として使われた歴史もあり、その数は明治時代初期までに2,300人にものぼると言われています。中には歴史上の著名人や、島民の困窮を救った義侠心の厚い流刑者も含まれており、現在の三宅村の姉妹友好都市は、そのような流刑者たちの縁がきっかけとなって関係が結ばれました。

伊豆諸島は火山活動により生まれた島々ですが、三宅島はその中でも古来より噴火の多いことで有名です。最も古い記録である西暦1085年から15回の噴火が確認されていますが、近年はさらに活発となり昭和15年、37年、58年と約20年おきに噴火を繰り返し、平成12年には雄山が大規模な爆発を数回起こし、全島民が島外避難する事態となったことは皆さまご記憶のことと思います。火山ガスの放出が収まらず避難生活が長引く中、天皇皇后両陛下のお見舞いをはじめ、東京都や全国の皆様の温かいご支援をいただきながら島民は故郷へ帰る日を待ち続け、平成17年2月、4年5ヶ月ぶりに念願の帰島を果たすことができました。おかげさまで三宅島は現在、火山ガスの放出もほとんどなく落ち着いていますが、噴火による全島避難前と比べて人口は3割減少し高齢化も進み、大きな打撃を受けた産業は後継者不足に悩むなど、三宅の復興はまだまだ道半ばです。

一方で自然は噴火の被害からたくましく復活しつつあります。木々の緑は蘇り、バードアイランドと称されるように三宅島の象徴となっている野鳥も年々生息数が増えています。特に大路池(たいろいけ)という淡水湖の周辺は『日本一のさえずりの小路』と呼ばれる野鳥の宝庫であり、海外も含め多くの愛好家が訪れています。海には最北限となるテーブルサンゴの群生や種類豊富な大物が釣れる磯があり、山には過去の噴火による雄大な溶岩原や火口跡が随所に見られ、昨年はスダジイの巨木が幹回り日本最大級と「全国巨樹・巨木林の会」に認定されるなど、三宅島はまさに『地球がむき出しの島』と言ってもよい、大自然を体感できる島です。

さらには統廃合により使われなくなった中学校体育館を国内最大級の公営スポーツクライミング施設に改装し、島民や観光客の室内アクティビティの場として提供するとともに、2020年東京大会に向けて、選手育成の合宿地として誘致活動を始めています。

最近は各所で「地域の宝探し」という言葉をよく聞きますが、伊豆諸島も各島それぞれ個性も魅力も大きく異なります。東京都でも『宝島プロジェクト』と銘打ち、知事も東京の各島を精力的に訪問され、魅力の発信に尽力いただいています。

幸か不幸か、三宅島は伊豆諸島の中でも開発が遅れている分、今も雄大で美しい自然が沢山残されています。これを三宅ならではの「魅力ある宝」として活用していきたいと考えています。その一方で噴火を知らない若い世代も増えていることから、過去の災害の経験を語り継ぎ、そこから得た知見や教訓等を基に、将来起こりうる災害にしっかりと備えていくことも三宅村の重要な課題の一つです。

私はその前半生を教師として中学校教育に従事し、もう一つの島の宝である「人材=人財」づくりに努めてきました。村長として2期目を迎えた現在は、島民とともに『島に育ち、島に生き未来につなぐ三宅島~心ひとつに三宅の創造~』を合言葉に、安全安心かつ豊かな村づくり、島づくりを進めてまいります。