熊本県甲佐町長 奥名 克美
甲佐町は、熊本県のほぼ中央部にあって、面積57.93㎢、人口は、約11,000人の町です。全体の約5割を中山間地が占め、畑作地帯の台地と水田が広がる平野部からなり、町の中央を清流緑川が貫流しており、初夏には若鮎が躍り、緑豊かな自然に恵まれています。
日本史の教科書に記述されている「蒙古襲来絵詞」(現在、宮内庁所蔵)をご記憶の方も多いと思います。この絵詞は、十三世紀半ばに、蒙古襲来に際して鎌倉御家人の竹崎李長が自らの武功を描写した絵巻を作成して、李長が信仰をささげていた甲佐神社(甲佐町上揚地区)に奉納したといわれています。
また、肥後藩主の加藤清正公や歴代の細川候ゆかりの史跡等も多く、緑川などの治水工事や新田開発、そして、鮎料理と風情を楽しみに多くの方が訪れる『鮎の簗場』など、数百年の時を超えても先人の知恵と宝物に多くの恩恵を受け続けています。
町から熊本市の中心部までは22㎞ほどで、交通アクセスも良いことから、町長就任以来、先輩町長達が取り組んでこられた、定住促進や子育て支援を更に充実・発展させるべく力を入れて参りました。
3期目に入り迎えた昨年の4月には、「活力に溢れるまちづくり」「安心・安全なまちづくり」「健康と人を育むまちづくり」「協働で支えるまちづくり」の4つの柱を基本とした政策目標を掲げて、今後も若者を中心とした定住促進を進めるための子育て支援のさらなる拡充を進める一方で、清流緑川の河川空間も活用し交流人口増にも取り組んでいこう、と意気込んでいた矢先、熊本地震という予期せぬ大惨事に遭遇した次第です。ゴオーという地鳴りとともに激しい揺れに何度となく襲われ、この世の終わりを想起させるような恐怖を覚えました。高速道路の橋梁の落下、幹線道路やライフラインの寸断、半数以上の住家が損壊するなど、平穏な日常が一瞬にして様変わりしましたが、人的被害が比較的少なかったことが幸いでした。
以前から布田川日奈久断層に起因する地震が起きる可能性があることは指摘されていたものの、これほどの大地震になるとは、正直夢にも思いませんでした。
多くの方が避難所や車中などで避難生活を強いられる状況が続く中、私は、被災者の立場に立ち、一刻も早く被災者の痛みを、少しでも和らげることを第一に、り災証明書の発行に向けた家屋被害調査や応急仮設住宅建設など、想定される事柄に職員とともに速やかな対策に努めました。
それができましたのも、県内外から物心両面にわたりご支援をいただいたお陰です。
例えば、国交省熊本河川国道事務所長さんとのホットラインで、テックホースの派遣をいただき、町内の道路や河川などを隈なく調査していただき、復旧への次のステップに早期に着手することができました。
また、カウンターパートナーとなっていただいた鹿児島県さんをはじめ、発災直後から多くの自治体に人的支援をいただいておりますが、被害家屋の調査、り災証明書の発行、避難所の運営、支援物資の整理など、次から次に起きる課題に懸命に対応していただきました。ご支援をいただいたすべての皆様にお礼を申し上げます。
今年は、本格的な復旧・復興元年ですが、単なる復旧には留まらず、将来を見据え更なる本町の発展を目指した復興を同時に講じていくことが重要と考えております。昨年11月に「将来(みらい)を想い・魅力(たから)を活かす・ともに紡ごう次世代への架け橋」を基本理念に掲げた「町震災復興計画」を策定しました。本町の早期復旧・復興を図っていくために、この計画を町民の皆様と共有し協働によるまちづくりを推進して参ります。
そのことが、ご支援をいただいた皆様に対しての報いになると思いますし、未来への贈り物になればと願うところです。