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新米町長奮闘中

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年3月6日

埼玉県寄居町長 花輪 利一郎

 

町長に就任し二年半、七十二歳「老人が跋扈すると町が廃れる。」などとの揶揄もありますが、そうはならじと「見ます、聴きます、話します、説明と納得の町づくり」を町政運営の基本とし、ただ今、奮闘中です。

私の住む寄居町は、都心から約七十㎞に位置する埼玉県北西部の町です。町の面積は六十四.二五㎢で関越自動車道花園ICに近接し、国道一四〇号と同二五四号が交じり、鉄道ではJR 八高線、東武東上線、秩父鉄道線の三線が結接する交通の要衝となっており、町の中に駅が八つもあります。

また、町名の由来ですが、江戸時代に作られた「新編武蔵風土記稿」によると「鉢形城落城の後、甲州の侍や小田原の浪士等より集いて居住せし故の名なり」と記されています。

起源こそ様々ですが、いずれにせよ寄居は「人が寄る町」「人が集う町」を象徴した歴史的な名前であると思っています。

しかし、名前の由来とは裏腹に当町にも人口減少、超少子高齢化の波は押し寄せ、人口減少に歯止めをかける術と決め手を欠く状況にあります。平成二十六年社人研推計によると消滅可能性都市に名を連ねた町でもあります。

明治元年寄居村、明治二十二年町制施行から百三十年近く続く歴史ある町を消滅させる訳にはいかない。これは、カンフル剤と位置づけ、かえって町づくりのため引き締め効果があったと思っています。

さて、消滅させない町づくりは大変大きな課題であり何とかせねばとの想いから、二〇一五年を「寄居創生元年」と位置づけ各種の取組を進めることとしたところです。

その主なものを紹介させていただきます。「寄居町創生総合戦略」では、町内外の人々から選ばれる町とするため、三つのシンボルプロジェクトを打ち立てました。一つ目は、「寄居の未来に投資!!寄居教育プロジェクト」で、これは、教育環境の充実、国際社会に対応する人材の育成支援などを行うもの、二つ目は、「寄居の未来をつなぐ!!輝く女性応援プロジェクト」で、就職、結婚、出産、子育て等様々なライフステージで頑張る女性を応援し住みやすい町No.1を目指すもの、三つ目は、「寄居の未来を創る!!頑張る若者応援プロジェクト」で、これは、町の未来を担う若者を様々な場面で支援するものです。

このほか、健康長寿県下No.1を目指し「元気で長生き寄居プロジェクト」も展開しています。

また、地方創生のキーワードは「連携」と捉え、地域等の連携と交流に取り組んでいます。県内では、都市部との相互交流、国内では後北条の繋がりから小田原市と八王子市と三姉妹都市の盟約を締結し、文化、観光等幅広い交流に向け動き出しました。国外では、米国オハイオ州メアリズビル市との中学生の相互交流を行いグローバル社会に対応する人材育成に取り組んでいます。

また、二〇二〇年に東京オリンピックが開催されることから、寄居町ではブータン王国の陸上選手の事前合宿地として名乗りを上げ、昨年十月に私がブータン王国に赴き協定を締結したところです。ご案内のとおり世界一幸せの国と言われるブータン王国とスポーツはもとより幅広い交流を進めたいと考えています。

また、平成二十九年度を初年度とする十ヶ年の第六次総合振興計画を昨年末に策定し、十年後の町の絵姿を「可能性∞笑顔満タンよりいまち」として町民の方々の潤いと安らぎ、そして幸せを感じられる町づくりを探求し挑戦して参りたい。「挑戦に終わりなし!!」

さて、何であったか定かではありませんが、中曽根康弘元首相が九十七歳の時に詠まれた句が掲載されていました。「埋火は赫く冴えたるままにして」(一世紀近くを生きてきてもなお沸々とたぎる情熱を内に抱えている。)というものです。素晴らしいことです。

一日として同じ日が無い毎日、毎日が新鮮であり、「威ありて猛からず」こんな町長に一歩でも近づければと日々奮闘中です。