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因果応報(善因善果)

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年2月20日

「因果応報(善因善果)」

栃木県上三川町長 星野 光利

大学三年が間もなく終わろうとしていたある冬の夜のことを今でも思い返す時があります。それは、当時硬式野球部に在籍していた私のアパートにM君が訪ねてきた夜のことです。鹿児島県出身で下戸のM君が、自転車の籠にウィスキーのボトルを入れ、寒さで顔を真っ赤にして部屋に入ってきたのです。
「酒を飲もう!」
「何言ってるの!飲めないくせに!」

M君が訪ねてきた理由は、おおよそ想像できました。当時の野球部は、主将で捕手・四番打者を務めるA君が事情で退部することになり、新主将にM君が抜擢されました。大黒柱を失ったチームには動揺が広がっていましたが、何よりも線の細い新主将のM君は、計り知れない不安と重圧に押しつぶされそうになっていたのです。下戸のM君は、自分で買った学生にはかなり高級なウィスキーを必死の覚悟で飲みながら、野球への想い、野球部として結果を残す為の重圧、そして何よりも短期間で部員を纏め統率できるかという不安を吐露しました。真面目な部員でなかった私でしたが、この時M君の背負っているものの重さと抱えている憂いを感じ、進んでM君に懐柔される決心をしたのです。

次の日から私の生活は一変しました。不真面目代表の私でしたが、誰よりも真摯に練習に取り組み、雑用でも何でも進んでこなしM君を支えました。チームの現状を全員に共通認識させるため、チームとして個人としてどう対応していくか何度も話し合い、修正を加え、強化を図っていきました。

「因果応報(善因善果)」。次第に力を付けたチームは、春のリーグ戦で優勝を飾り、上位の大会に駒を進めることが出来ました。

三十数年前に地方の大学野球部で起こった出来事です。内容は稚拙かもしれませんが、M君が私のアパートを訪ねてきたことが、私の人生を大きく変えてくれました。

このような経験が礎となり、私は現在町長としてニ期目を務めています。

ここで、上三川町の紹介をさせていただきます。

栃木県上三川町は、県都宇都宮市の南に隣接しています。旧石器時代の遺跡が確認されており、奈良時代以降の役所と考えられる遺跡も存在するなど、古代から栄えていました。当時の三川郷の由来の通り鬼怒川・江川・田川の大きな河川が南流し、肥沃な田園地帯を形成しています。四十九年前に大手自動車工場が進出し、最大高低差二十mの平坦な田園工業都市として発展を遂げてきました。

現在は、一日約六万台の車が往来する新国道四号線が町の中央部を南北に縦貫し、北関東自動車道が東西方向に横断する結節点となり、栃木県の交通の要衝となっています。

町長就任以来、大手自動車会社が自社の業務改善を「NPW方式」という手法で進められていることを学び、行政にも取り入れて職員共々取り組み、業務の改善に成果を上げてきました。

昨年は、新住民を含めた町民の皆様と行政がより身近な関係を構築するため、「自治会コンシェルジュ」制度を導入し、役場職員が自治会ごとに担当を持ち自治会長の相談に乗ったりサポートをしたりしています。

さらに、行政の施策を町民の皆様に正確に伝える方法にも改善を加え「伝わる」努力を重ねています。

上三川町は、栃木県内で最も平均年齢の低い「若さあふれる町」です。このポテンシャルの高さを活かし、さらに発展する為に「新産業団地の開発」を推進し、雇用環境の整備に努めていきます。

人は良い行いをすれば必ず良い報いがある「因果応報(善因善果)」を信じ、私の座右の銘としている「誠実であれ、謙虚であれ、感謝をせよ」を心に刻み町政発展に努力していく所存です。皆様の御指導御鞭撻を宜しくお願い申し上げます。