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先人達の熱い思い「都農魂」

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年2月15日

先人達の熱い思い「都農魂」

宮崎県都農町長 河野 正和

私達の住む都農町は、宮崎県の日向灘に面した中央部、延岡市と宮崎市のちょうど中間あたりに位置します。人口は1万人と少し、主たる産業は農業で、野菜やくだもの、また畜産が盛んな町です。 背後には九州山地に連なる尾鈴山がそびえ、夏には五穀豊穣を祈り、一の宮都農神社の例大祭で賑わう都農町は、九州のどこにでもある典型的な田舎のひとつです。

この町に平成8年、都農ワイナリーがオープンしました。「南九州でワインの醸造?」県内有数のぶどう産地とは言え、なんと無謀な挑戦と注目を集めました。 私も役場職員としてワイン構想に携わりましたが同じ思いでした。しかし、今では世界のワイン100選に選ばれるほどの知る人ぞ知るワイナリーとして注目されています。

ワインの原料となる尾鈴ぶどうの歴史は、戦後まもなく、何か生活を支える基盤となる作物がほしいとの思いで一人の農民が栽培にチャレンジしたところから始まります。当時、 南九州の自然条件では、ぶどうの栽培は厳しいと言われた時代でもあり、人々から、田に木を植える馬鹿がいると揶揄されながらも産地づくりの夢を抱き奮闘していたと聞いています。

それから半世紀の時を経て、祖父たちが夢を抱いて始めたぶどう栽培を、父たちが受け継いで大きく実らせ、そして孫たちが新しい夢として醸したものが、今の都農ワインです。

ワイン醸造もすんなりとは、いきませんでした。もともと北海道に出荷していた尾鈴ぶどう(キャンベルアーリー)が、お盆過ぎには価格が急落してしまうことから、 それなら付加価値を付けてワインにしてしまおうという構想であったため、農家の間には「どうせ加工用」との安易な考え方が支配的でした。一方、醸造現場では、地域の風土をワインとして表現したい、 目指すは世界に認められるワインとの高い志から「原料は高品質な地場産ぶどうでなければならない」と、両者には大きなギャップがありました。何度も何度も話し合いを重ね、 ようやく農家も理解してくれるようになったとき、その思いは、初めて都農町にぶどうを導入した一人の勇気ある農家の思いと一致したのです。

ぶどう栽培には極めて厳しい高温多湿という本町の自然条件を、弛まぬ努力と不屈の精神で乗り越え、県内有数のぶどう産地に成長させた先人の強い決意を忘れないために、都農ワインのラベルには、 この大切なフレーズを載せています。

『田んぼに木を植ゆる馬鹿がおるげな』

都農ワインと尾鈴ぶどうには、こんなすばらしい壮大なロマンが凝縮されています。

私達は、難問に果敢にチャレンジし乗り越えて行く不屈の精神を「何事にも屈しない都農魂」として町民憲章に謳っています。なんと勇ましい言葉だろうと思う時もありましたが、 町長という重責を担い、この「都農魂」という先人達の故郷を前に進めていこうという熱い思いが込められた言葉がいつも勇気を与えてくれます。

6年前、口蹄疫という大災害に襲われたとき、本町の誇る畜産業は全頭殺処分という重い決断を受け入れました。そのわずか2年後に開催された全国和牛能力共進会で宮崎県が2連覇を果たす中、 本町から出品された牛も部門優勝を成し遂げています。まるで映画でも見ているようなドラマチックな出来事でした。畜産の再開を躊躇する農家も多い中、その農家は、自分が全国和牛能力共進会で日本一になり町を、 町民を元気にすると宣言して勝ち取った3度目の日本一だったのです。

消防操法大会においても、全国大会出場常連の県内他市町村チームを撃破し、全国大会初出場を成し遂げ、3年後には、東九州自動車道開通後のストロー化現象が懸念される中オープンした「道の駅つの」も、 心配をよそに多くの皆様にご来場いただき本町の情報・魅力の発信基地として奮闘しています。まさに困難を乗り越える不屈の精神「都農魂」を見たようでした。

都農町が口蹄疫災害に見舞われたその年は、町制施行90周年を迎える記念すべき年となるはずでした。しかし、町全体が大きな打撃を受け、90周年を祝う行事も殆どが中止、縮小を余儀なくされる中、 次の10年後、町制施行100周年を目標とした復興のための新しい町づくり構想を作り上げました。現在、その実現にむけて懸命に取り組んでいるところです。町制施行100周年まであと4年間、 困難に出あうたび、心の底から湧き上がってくる何事にも屈しない「都農魂」を受け継ぎ、新しいまちづくりにチャレンジしています。先人達の愛して止まない故郷を思う熱い気持ちを、 次の世代にも引き継ぐため、我々がもっとパワーアップさせて渡していかなければと思っています。